マン島TTとは、いかなるレースなのか。~2013公式DVDライナーノーツより
2013年のマン島TTレースDVD日本版に封入したライナーノーツのために書いた原稿を見つけたので上げておきますね。
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TTとは、いかなるレースなのか。
「世界最古の公道オートバイレース」
「世界屈指の難コース」
「究極のロードレース」
「ライダーの聖地」
「バイクの祭典」
その形容詞はいくつもあれど、その迫力、人びとの熱い視線、熱気、そしてときおり起こる厳しい現実──。それらはきっと、意を尽くしてなお、文章でも映像でも伝えきれないのかもしれない。
本DVDのオープニングで使われている美しい海、切り立った断崖もまた、紛れもなくマン島の風景である。静寂に包まれ朝日に輝く道路もまた、何も特別な場所ではない。ただ、ほかの道路と違うのは、年に二度、世界中から集まったオートバイの猛者がそこでレースをし、それを見届けようと世界中のオートバイ・エンスージアストが集まり、地元マンクスの人びとがレースを支えていることである。
TTの歴史は、モータリゼーション勃興前夜の1904年までさかのぼる。ヨーロッパ大陸で行われていた国別対抗の国際レース、ゴードン・ベネット杯に惨敗していたイギリスの自動車産業が世界での覇権を取るべく、自国でのレース開催の機会をうかがっていた。しかし、当時ブリテン島の多くで時速20マイル(32km)規制があった上、うるさくて臭い自動車に反対する勢力が強く、それは叶わなかった。状況が変わったのは、イギリス/アイルランド自動車クラブの書記、ジュリアン・オードの口添えである。オードはマン島の総督代理ラグラン卿ジョージ・F・ヘンリーのいとこで、マン島が観光振興をしたがっていることを聞き、マン島議会に公道でレースが出来るよう掛け合ってもらったのだ。マン島は英国王室に属する島ではあるが、政治的には完全に連合王国から独立しており、法律が可決さえすればマン島でレースを開催することができる。その結果、1904年にゴードン・ベネット杯のための予選会をマン島で行うことになり、これがきっかけで1905年には自動車のTTレースが、また1907年からはオートバイのTTレースが毎年開催されることになった。
この「Tourist Trophy(=旅行者杯)」の略称である“TT”は、長距離の公道を市販車で周回する形式のロードレースを指す一般名詞として定着し、ヨーロッパ各地で“TT”レースが行われた。現在でも世界グランプリとしてオランダで行われているダッチTTは、その名残である。
ポスト・モダニゼーションの時代に入り、モータースポーツを取り巻く状況やモータースポーツに対する人びとの意識は変化していった。第二次世界大戦後は戦後復興の印として、また科学技術発達の証としてモータースポーツは発展した。TTも例外ではなく、それまでの実績を踏まえて、1949年から始まった世界グランプリの第一回目の地に選ばれたのである。こうしてマン島TTレースは名実共に世界最高峰となった。一方で、モータースポーツの人気とマシンの性能が高まった1960年代後半から70年代にかけては世界各地で死亡事故が相次ぎ、二次的な安全装置を設置しにくい公道レースは、とくにオートバイのロードレースにおいて急速に縮小され、その舞台はレース専用サーキットに移っていく。
そのような時代の流れを背景にしてもなお、マン島TTレースは百有余年を経て公道閉鎖したコースを使用し、世界最高峰のマシンとトップクラスのライダーによってレースが行われている。現代社会においてこれは奇跡としか言いようがなく、松下ヨシナリの言葉を借りるならば、これはもう「モータースポーツとは別のものであり、冒険と言っていい」のである。
そういう意味でも、現代のモータースポーツはクローズド・サーキットと公道レースは切り離された存在となっており、クローズド・サーキットのトップランカーは公道レースに出てこないのが普通である。
これに対してサイドカーTTはTTレースの中でも異質な存在である。マシンこそ安全上の理由でF-2レギュレーション、つまり600ccエンジンに抑えられているが、出場選手は2005、2006、2007、2012年の世界選手権チャンピオンであるティム・リーブズ、2009年チャンピオンのバーチャル兄弟、そして2007年チャンピオンのパトリック・ファランスなどそうそうたるドライバー/パッセンジャーが出場している。これはつまりモトGPに例えるならば、バレンティーノ・ロッシやニッキー・ヘイデン、ケーシー・ストーナーが一堂に会してレースをしているようなものなのである。事実上の世界一決定戦なのだ。
名だたる世界チャンピオンたちを迎え撃つのは、地元マン島のデイブ・モリニュー選手である。TTでこれまで16勝を挙げた彼は今年、その功績が讃えられTTコース上に「モリニューズ」というコーナー名称が加わった。
次なる17勝目、18勝目が期待されていたモリニュー/ファランス組だったが、モリニューにいつも後塵を拝していたリーブズ/ダン・セイル組がついにサイドカーTTレース1でモリニュー組を破り、初優勝を遂げた。
続くサイドカーTTレース2も、世界チャンピオンチームのベンとトム・バーチャル兄弟組がモリニュー/ファランス組を破り、初優勝を遂げるという結果となった。
ところで、今年のTTプラクティスウィークは天候に悩まされる1週間であった。降雨だけでなく霧が発生すると救急ヘリコプターが飛べないため、走行は延期または中止になる。山のうえ天候をにらみつつ、5月27日月曜日の走行が始まった矢先──。
松下ヨシナリ選手のもう一つのプロジェクト、それは日本のチーム未来の電動バイクで表彰台に日の丸を掲げたいというものであった。松下の訃報が届いたその日、チーム未来はロンドンで準備をしていたところだった。アクシデントが起きた場合はどうするのか。松下との約束を果たすため、白羽の矢はベテランのイアン・ロッカー選手に立てられた。ロッカー選手が「他のチームだったら引き受けなかっただろう」と語っていたのにはわけがある。というのも、今年50歳になる彼は、今年度限りでTT引退を表明していたのだ。これまで100レースものTTに参戦してきたレジェンドが、最終日のシニアTTまで無事に走りきりたいと願うのは至極当然のこと。だから、予定になかったTT Zeroを急に走れと知らないチームから言われても迷っただろう。
TT Zeroはまだ発展途上のカテゴリーであり、途中の電欠やモーター焼きつきなどでリタイヤが続出していたクラスである。しかし電動バイク初搭乗のロッカー選手は見事に完走し、松下の思いをチェッカーフラッグに届けた。
さて、今年の話題と言えばジョン・マクギネス選手がゼッケン3番を付けて現れたことが挙げられる。ゼッケン3番。TTにおいてこの数字は特別な意味がある。マン島TTにおけるエースナンバーと言えば、この「3」番である。
TTは10秒ごとに1台ずつスタートするタイムトライアル形式のレースである。ゼッケンナンバーは、主に前年度の成績順に振られるが、ある程度ライダーの希望が受け入れられることもある。
10秒間隔と言えば、前を走るライダーの背が見える位置でのスタートとなる。ライダーやマシンの速さが拮抗しているのであれば、前のライダーを追いかける位置にいる方が、精神的にも、またインを刺して抜くだとか、スリップストリームを使うためのテクニック的にも、後ろを走るライダーにやや有利になる。
このため「3」番を好んで使っていたのがキング・オブ・マウンテンと称されたジョーイ・ダンロップM.B.E., O.B.E.である。北アイルランド出身のジョーイは、マン島TTで前人未到の26勝を上げた伝説のライダーで、惜しくも2000年にエストニアの公道レースの事故で逝去したが、いまだに「3」と言えばジョーイ、ジョーイと言えば「3」というほどのイメージがある。ゼッケン「3」番は永久欠番になるのではと噂されたほどである。
2013年は、ジョーイがホンダで初めて優勝した1983年から数えて30周年にあたる。これを記念して、マクギネス選手はジョーイが最後にTTで優勝したフォーミュラ1-TTのカラーリングのマシンとレザースーツが準備され、全レースでゼッケン3番を付けて登場したのである。マクギネス選手は目下、2012年までにTTで19勝しているポスト・ダンロップとも言える選手であり、これはつまり、勝利を託されたも同然のサプライズだったわけである。
ところが、そのマクギネス選手の勝利を阻み続けるライバルが登場した。チームメイトのマイケル・ダンロップ選手である。苗字からも察せられる通り、マイケルはジョーイの甥で、“mighty atom(鉄腕)”のニックネームで呼ばれていたジョーイの弟、ロバート・ダンロップの次男である。マイケルは兄ウィリアムとともにジョーイ、ロバートと同じくプロ・ロードレース・ライダーの道に進み、近年、アイルランドの公道レースやマン島のTT、サザン100などで頭角を表していた。2008年には、ノースウェスト200(北アイルランドの公道レース)で父ロバートが予選で亡くなったが、その250ccクラスの決勝で見事優勝を果たし、人びとの涙と感動を呼んだ。
そして今年ついにホンダUKのワークスライダーとなったマイケルは、20kgもの減量を行いTTや世界各地のレース転戦に備えたという。
ジョーイ・レプリカで登場したマクギネス選手は期待に違わず、TTスーパーバイクレース2周目には2位に浮上する。ところが、ピットレーンで速度違反をしてしまい、60秒のペナルティ・ピットストップを受け、勝利はその手からこぼれてしまった。その後のスーパースポーツ1、スーパーストックでも、この若き雄に勝利をもぎ取られてしまう。昨年2位の雪辱を晴らすべく日本のチーム無限が必勝体制で臨んだTT Zeroも、TT Zero以外ではチームメイトで同い年のマイケル・ラッター選手にわずか1.6秒差で勝利を譲る。続くスーパースポーツ2でもまたマイケル・ダンロップ選手に勝利を明け渡してしまった。
このマイケル・ダンロップ選手の快進撃は、2010年に前人未到のTTウィーク中に5勝を挙げたイアン・ハッチンソン選手を思わせた。
マイケルの快進撃を止めたいマクギネス選手は、やや焦りの色も見せていた。いつも家族とともにマン島入りし、常にファンサービスをこなしながらにこやかにレースウィークを過ごすマクギネス選手。しかし今年のウィークは、「夜も眠れないほど、どうやったら勝てるのかを考えていた」というのだ。
果たして、マクギネス選手のTT20勝目はあるのか。TTウィーク最終レースのシニアTT。結果はDVD本編でご確認いただきたく。
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