東日本/栄村大震災からもうすぐ1か月。震災と復興とバイクについて、過去の歴史から学べることは何かあるでしょうか。
1995年の阪神淡路大震災に関連した地震当時から現在に至るまでの記録資料は、神戸大学附属図書館の「震災文庫」にまとめられていて、閲覧することができます。
これらの資料は新聞や書籍だけでなく、当時、避難所や仮設住宅などで配られていたボランティアによるミニコミ誌や、関連のチラシ、関係各所の書類なども網羅されています。資料は逐次、デジタルアーカイブ化され、インターネット上で利用することも可能です。また、一部ですが一次資料を閲覧することも可能です。
今回はその資料から、「オートバイ」「バイク」「二輪車」「単車」というキーワードで検索し、時系列でソートして「震災と復興とバイク」についてこれまでどのように語られてきたのか、まとめてみました。
少し資料の引用が長くなりますが、参考までに地震から何日後・何か月後・何年後かを付記して並べてみます。
(以下、各資料のタイトル中、一部太字強調は筆者による)
1995年1月25日~30日(地震から8日目~13日目)
「震災当時、バイク便会社「セルート」が、社を挙げて組織的なボランティア活動をされました」
1995年1月~3月(地震当月から2か月後の間)
「朝の出勤時、自動二輪が多い。国道2号(長田区あたり)で / 大木本美通」(神戸大学附属図書館・制作、震災記録写真No.1(1995年1月〜3月) / 長田区周辺(車中から))
「朝、出勤の足はバイクに頼る(北長狭通3丁目、ガードの南あたりで) / 大木本美通」(神戸大学附属図書館・制作、震災記録写真No.1(1995年1月〜3月)/ 三宮〜北野界隈)
震災当時の写真記録はこれらの資料から知ることができます。とくに、セルートによるボランティア活動の記録は貴重な記録です。
1995年1月25日(地震から8日目)
「オートバイ盗にご用心 : あたなのオートバイは二重ロックしていますか」『地域安全ニュース : 地震対策特集号(自身番)』東灘防犯協会、東灘警察署.
1995年1月25日(地震から8日目)
「あなたの大切な自転車、単車が狙われています。」『地域安全ニュース : 地震対策特集号(自身番) = Never Give up / no.2』東灘防犯協会、東灘警察署、p7.
1995年1月27日(地震から10日目)
「体育館前バイク駐車禁止」『ひなん新聞 : 神戸大学体育館・避難所』神戸大学体育館・避難所世話人グループ、(1)、p1.
地震直後、まず、バイク関連の文言が出てきたのは、防犯の呼びかけと、バイク駐車に関する問題でした。
もともと、山坂きつい神戸近隣ではバイク需要が高く、震災で鉄道や道路網が寸断されている中、ますますバイク利用に依存しなければならなかった状況が見えてきます。
今回の震災では、東北エリアは冬季の雪や凍結でバイク需要が少ないと思われがちですが、太平洋岸ではもともと雪が少なく、比較的、一年を通じてバイク需要が高い地域もありますから、今後は復興に向けて、バイクが必要とされていくこともあるのではないでしょうか。
1995年2月(地震の翌月)
「自動車で動くより、バイク、自転車、徒歩で動こう!/村井雅清[話]」『てんと村だより』阪神大震災救援ぐるうぷ事務局、阪神・淡路大震災ちびくろ救援ぐるうぷ.
1995年2月(地震の翌月)
「二輪車事故が増加中」『交通ニュース, 臨時号[1]』(16)5、須磨警察署交通課.
鉄道や道路網が寸断され、激しい道路渋滞が発生。「復興物資輸送ルート」の設定や、復興標章の交付などが行われていたことが思い起こされます。
1995年2月1日(地震から15日後)
「バイクで駆けつけてみて : タダの社会のようだ 兵庫県南部地震救援レポート」『けんさん』長塚久佳、幸福会ヤマギシ会本部、305、p7.
1995年2月1日(地震から15日後)
「救援活動の足にオートバイ3台 : 小型自動車振興会」『赤十字新聞 = The Red Cross Journal』、日本赤十字社,644: p6.
地震発生から2週間あたりの資料では、救援のためのバイクの役割が見えてきます。
1995年2月3日(地震から18日後)
「火の海から追われる人たちの48時間 : 大渋滞すり抜けバイク・ルポ──関西大震災 : 特報」『週刊朝日』今西憲之、朝日新聞社、1995.2.3、100(4): pp37-39.
1995年2月16日(地震から30日後)
「ガレキの中から自転車、バイク修理・販売 : 深江北町3丁目──エナジーリポート」『グリーンニュース』アドゲイン、 1995.2.16,2: p4.
地震発生から1か月あたりで、被災地の生活者にとってのバイクに対する活動が報告されるようになってきました。
1995年2月28日(地震から1か月と11日後)
「自転車とバイクは気を付けて!」『デイリーニーズ : 生活情報かわら版』田中健一、ピースボート, 1995.2.28, 32: p1.
1995年3月(地震から2か月後)
「二輪車の事故防止」『交通ニュース, 臨時号[3]』、須磨警察署交通課.
1995年3月(地震から2か月後)
「バイク便 緊急輸送に大活躍 : 水、食料品から医療用部品まで : 料金の請求などで悩みも──「阪神大震災」における企業の災害危機管理 :災害発生時の各企業の対応」『ELNET新聞・雑誌記事データベースからの事例集』エレクトロニック・ライブラリー, p71.
地震2か月後には、被災地でバイクを利用する人に向けたメッセージが発信されています。被災地の生活に密着したバイクの姿が見て取れます。
また、企業活動の側面で、ボランティアとしてのバイク便ではなく、企業活動としてのバイク便が復興の一助になっている一方で、料金請求の問題が出てきたことが報告されています。
1995年・時期不明
「オートバイ修理・診断」 [チラシ] 全国オートバイ組合連合会.
バイク関係団体によるボランティア活動の貴重な一次資料です。
全国オートバイ協同組合連合会では現在、宮城県の要請で、石巻地区の災害支援ボランティア活動を行っています。このときの経験が活かされていると言えましょう。
1995年3月(地震から2か月後)
「バイク大震災を走る」『Asahi news shop』今西憲之、朝日新聞社、190p.
1995年3月15日(地震から約2か月後)
「なぜミニバイクが最良の交通手段になったのか──第2章 避難生活」『週刊朝日 臨時増刊 大震災サバイバル・マニュアル : 阪神大震災が教える99のチェックポイント』週刊朝日編集部、朝日新聞社, p.33.
1995年4月(地震から約3か月後)
「威力発揮したバイク 第2章 その時企業は / 8 復旧を陰で支える 」『阪神大震災その時企業は : 徹底検証・危機管理』日本経済新聞社, 1995.4, pp.86-87.
「ミニバイクで食料運搬 / 吉田澄生[談] 第8章 会社で地域で / 3 街を見捨てられない」『阪神大震災その時企業は : 徹底検証・危機管理』日本経済新聞社, 1995.4, pp.251-252.
1995年4月(地震から約3か月後)
「移動手段は : バイク、自転車が主役──第一章 生き抜くために / 地震直後」『大震災を生き抜く:「阪神」が教える危機管理』時事通信社編集局, 1995.4, pp.18-19.
地震から3か月ごろ、マスコミは、移動手段としてのバイクを評価する記事が掲載していたことがわかります。
1995年6月(地震から約5か月後)
「バイクで水をピストン輸送(第1次支援)──特集阪神・淡路大震災 : 「こわれた街」ですすめた救護・医療活動と再建への努力 / 灰塵の中を奔走 / 2 支援活動の手記(保団連、協会機関紙より) 」『月刊保団連 / 号外 開業医4カ月の記録』宮崎学、全国保険医団体連合会、p.19.
1995年7月(地震から約6か月後)
「弱者を救え ボランティア・バイク部隊出動 : 一月二十七日午後八時四十分」『阪神大震災 : 瞬間証言』岩下肇秀/浜口タカシ、 瞬間証言、pp. 141-143.
1995年9月(地震から約8か月後)
「バイク便で試薬を搬送 : ベックマン社」『災害医療阪神・淡路大震災の記録 : 被災地の命はどう守られたか / 臨床検査 / 検査関連企業の対応から』薬業時報社、p159.
地震から半年前後の頃には、医療現場とバイクの関係についての報告が増えていきました。
今回の震災では、阪神淡路を教訓に、緊急輸送用の手段としてバイクをあらかじめ配備していた医薬品卸会社があり、いち早く医薬品の供給ならびに情報収集伝達していたといいます(NHKの報道による)。
1995年9月(地震から約8か月後)
「災害時の強い味方 : どんな道でもスイスイ : 消防用単車 : フォーカス」『じゃあなる』尼崎市秘書室広報課、810: 1.
1995年10月(地震から約9か月後)
「バイトよりバイク情報隊 ; お片付け・ボランティア ; お米や調味料どうぞ : 朝日ボランティア基地29日」『行った出会った学んだ : 阪神大震災救援 : 朝日ボランティア基地の158日 / 158日の記録 : 朝日新聞コラムとボランティアたちの声 / 1月』朝日新聞厚生文化事業団、p9.
「バイク隊走る / 分玉基弘:神戸学院大学」『行った出会った学んだ : 阪神大震災救援 : 朝日ボランティア基地の158日 / 158日の記録 : 朝日新聞コラムとボランティアたちの声 / 2月』朝日新聞厚生文化事業団、pp.15-16.
「仮設作業所の見通しついた ; さよならバイク隊 : 朝日ボランティア基地30日」『行った出会った学んだ : 阪神大震災救援 : 朝日ボランティア基地の158日 / 158日の記録 : 朝日新聞コラムとボランティアたちの声 / 3月』朝日新聞厚生文化事業団、p62.
地震から半年を過ぎ、「災害に強い」バイクの報告や、バイクを使ったボランティア活動の報告記事が出てきました。
1995年10月(地震から約9か月後)
「20数年振りに息子の単車で / 天野敏明:アサヒエンジニアリング──第3部 大地震と私 : 投稿手記」『阪神大震災物語 : たくましき中小企業家たちのたたかい : ヒューマンドキュメント』中外書房, pp.202-203.
1995年12月(地震から約11か月後)
「国道2号線のオートバイの列」『激震 : 阪神・淡路大震災に学ぶ──暮しへの影響<社会科編> / 2 人々の動き』西宮市教育委員会, p38.
1996年1月(地震から1年後)
「寒い中でのバイク通勤」『そのとき普及員は : 阪神・淡路大震災における普及活動 / 震災を体験して / 震災の中で』川上信二:神戸農業改良普及センター、兵庫県改良普及職員協議会、p15.
1996年1月(地震から1年後)
「バイクで現地走った : 情報収集、ゼロから出発──第1部 / 兵庫県南部地震から一年 / 座談会 : 苦労を被災者とともに : 「ボランティア活動」を語る : 各宗派青年僧 / 弱い立場の人々にまず救援の手 」『中外日報』橋本寛昌:全真言宗青年連盟事務局次長、小林浩輝:京都教区浄土宗青年会会長、村上教文:浄土真宗本願寺派高岡教区寺族青年会前会長、中外日報社、25402: p18.
1996年1月(地震から1年後)
「地震後の鉄道復旧過程との関連で見た自転車・バイク利用特性」『阪神・淡路大震災に関する学術講演会論文集──総論・都市計画・交通計画・防災計画』新田保次/松村謙慶、土木学会、pp.673-676.
1996年1月(地震から1年と1か月後)
「地域の第一線医療を守ろう : 被災歯科医院を単車で廻って」『阪神・淡路大震災と歯科医療 / 第四部』岩倉政城:東北大学歯学部、兵庫県病院歯科医会、p128.
1996年5月(地震から1年と4か月後)
「歩行者、原付二輪、自動二輪等専用道路のルート整備」『交通科学──阪神・淡路大震災と道路交通問題 : 小特集 / 提言』三戸秀樹、大阪交通科学研究会、1(2): p.82.
地震から1年後あたりから、学術的な見地による報告が増えてきました。
1997年3月(地震から2年と2か月後)
「日本救難バイク協会 : BRS-J : Bike Rescue Society-Japan : ボランティアNOW」『HEART phoenix : 兵庫県災害救援専門ボランティアニュースレター』兵庫県知事公室消防防災課、3: p3.
1997年6月(地震から2年と5か月後)
「バイク便 : そう、漫画のタヌキ。服はどろどろっす」『ザ・仕事 : 阪神大震災聞き語り』宮沢之祐、神戸新聞総合出版センター、pp.81-85.
1998年2月(地震から3年と1か月後)
「報告 : バス・二輪車を対象とした震災時の補完交通システムの特性」『IATSS Review = 国際交通安全学会誌──特集大震災と道路交通』新田保次/松村暢彦、国際交通安全学会、23(3)、p.44-51.
1998年6月15日(地震から3年と5か月後)
「震災時でのバイクの効用 : 読者のひろば : ボランティア情報」『防災情報新聞 PR版』秋谷良雄:山之内製薬取締役総務部長、防災情報新聞社, 15: p16.
1998年7月15日(地震から3年と6か月後)
「災害救援ボランティア講座第一期生国布田毅さん大いに語る : 被災現場からバイク救助隊構想が・・・ : ボランティア情報」『防災情報新聞 PR版』防災情報新聞社、16: p16.
地震から3年後あたりで、災害救援のバイク活用やバイクボランティアの組織化について、数々の報告が上がるようになりました。
1998年10月(地震から3年と9か月後)
「被災者救援、買い出しなどに自転車やバイクが大モテ──第12章 犯罪・メディア・選挙 : 社会一般 」『「毎日新聞」が伝えた震災報道1260日 : 1995.1.17-1998.7.17』六甲出版、pp.763-764.
1999年1月(地震から4年後)
「平成九年度優秀賞「原付バイクによる簡易消火システム」: 大阪市消防学校・防災研究係 : 防災救命テクノコンペを実施 」『けんせつ近畿 こうなる近畿 = Kounaru Kinki』近畿建設協会、34(1): p.11.
1999年7月15日(地震から4年6か月後)
「阪神・淡路大震災あの時私は・・・ : ミニバイクで営業所を駆け巡り緊急指示 : 手記-激震地からの証言<シリーズ第7回>」『防災情報新聞 PR版』伊本壽和:前ヤマト運輸兵庫主管支店長・ヤマト運輸京阪主管支店長、防災情報新聞社、28: p14.
1999年12月(地震から4年11か月後)
「震災救援サポート : ジャパン・レスキューサポート・バイクネットワーク : 特集市民社会とNPO」『フォト』時事画報社、46(24) pp.12-13.
2002年7月(地震から7年6か月後)
「無線とバイクで被災地情報をいち早く!/オートバイの機動力を救援活動に!」兵庫レスキューサポート・バイクネットワーク[談]、『HEART phoenix : 兵庫県災害救援専門ボランティアニュースレター』兵庫県企画管理部防災局防災企画課、24: p2-3.
2003年10月17日(地震から8年9か月後)
「全国のバイクボランティアを結ぶジャパン・レスキューサポートバイクネットワーク」『防災情報新聞 PR版』防災情報機構NPO法人、79: p5.
2004年12月(地震から9年11か月後)
「ボランティアでつくる災害ネットワーク : 災害救援専門ボランティア楠本正明さん(情報・通信 バイク分野)がパネリストで参加 : 防災ミニファイル」『HEART phoenix : 兵庫県災害救援専門ボランティアニュースレター』兵庫県企画管理部防災局防災企画課、34: p4.
2005年1月(地震から10年後)
「復旧作業にバイク購入──第3章 悪戦苦闘の日々」『耐震サラリーマン : 震災復興の心得』佐藤訓行、中日新聞社、pp112-113.
2005年5月(地震から10年4か月後)
「赤バイク──第一部 10年の時を越えて / 第五章 特別フォーラム「私の10年」 / 震災エッセー「私の10年」」高橋和彦、『時を超えて阪神大震災10年』産経新聞ニュースサービス、pp. 110-111.
2005年7月(地震から10年6か月後)
「自動車・バイク・自転車」『震災が教えてくれたもの : 阪神・淡路大震災』金子裕永、創栄出版、pp.140-145.
2009年1月7日(地震から14年後)
「ビッグバイクが災害時に出動 : 震災の教訓をもとに登録、消防出初式で初披露」(記者発表資料/神戸市ホームページより出力).
2009年11月22日(地震から14年10か月後)
「赤い単車息子の形見 : 北の大地一緒に走りたかった──一語一会 : 阪神大震災15年」[朝日新聞 2009.11.22付] 朝日新聞大阪本社, p26.
地震から3年以上経っても、いや15年経っても震災は種々の側面から繰り返し語られ、その経験から生まれた「バイクボランティア」や「バイクレスキュー」もありました。
以上のように、阪神淡路大震災の記録から考察するに、震災からすぐの時点では、鉄道や道路網が寸断されたために、被災地住民の皆さんがよりたくさんバイクを利用していたことがわかります。そこから派生して、バイク駐車問題や、バイク盗難問題が発生していたことがわかりました。
震災からひと月ほどは、救援活動のためのバイクが報告されています。また、市民の足がバイクに移行するに伴い、バイクユーザーに向けて交通安全の呼びかけがされていました。
地震から2、3か月すると、バイクによるボランティア活動や、医療品搬送などの報告が増えていました。
地震から1年後あたりでは、バイクによるボランティア活動の報告や、学術的見地による報告が見られました。
その後は数年かけて、バイクによるボランティア活動が組織化されていくこととなったわけです。
今回の大地震からもうすぐ1か月。まだまだ震災真っ只中という感じでもあるし、阪神淡路のときとは規模も特性も異なる側面が多々あります。しかし、歴史や経験から活かせる何かもあるのではないかと思い、今回、このように紹介した次第です。