G-FP2DF1P69Y 地震・災害: 小林ゆきBIKE.blog

地震・災害

2014.08.31

今年も9月1日防災の日に都内で大規模な交通規制を伴う訓練が行われます

2014bosai


9月1日(月)の朝に都内を通過する予定がある方はご注意ください。

今年も防災の日の訓練に伴い、都心を中心に都内で大規模な交通規制が行われます。


防災訓練に伴う大規模交通規制(都内約85か所)のお知らせ

交通規制を行う時間は
 
○ 9月1日(月)午前9時00分ころから午前9時5分ころまでの約5分間です。

○ 水戸街道においては午前9時00分ころから午前9時20分ころまでの約20分間です。

  ※ 信号周期により数分の時間差がある場合があります。


交通規制の内容について

○ 環状7号線から都心方向への車両通行禁止(20か所)

○ 上記以外の幹線道路における車両通行禁止(65か所)

詳しくはリンク先をご覧ください。

自分もかつてこの交通規制に引っかかったことがありますが、あらかじめ広報がしっかりされているせいか、いつもより都内は空いていた印象があります。

通行止めになるのは約5分とありますが、実際には前後5分ほど、トータル15分ほど足止めをくらうような。

首都高が空いていたような気もするし、混んでいた場所があったような気もしますけど、今年はどうなんでしょうか。

たぶん、圏央道がつながって東名海老名JCT付近は渋滞が激しくなるではないかと予想いたします。

あと、今年は防災の日が月曜日になるということで、そのあたりも勘案して渋滞予測してお出かけになられるとよいのではないかと。

うろ覚えですけど、都心に向かう鉄道がいっそう混むと言っていた人がいたような気がするのですが、どうなんでしょう。

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2012.05.25

津波被害でカナダ沿岸に漂着したハーレーダビッドソン~プレスリリースより

「カナダのブリティッシュコロンビア州グレアム島の沿岸に漂着したハーレーダビッドソンを、当該車両のオーナーと協議の結果、多くの尊い人命を奪った東日本大震災の追悼品として、ミルウォーキーにあるハーレーダビッドソンミュージアムに寄贈いただき、保存することを決定した」との公式リリースが、ハーレーダビッドソンジャパンより発表されました。

以下、プレスリリースとオーナーのコメント全文です。

News Release2012年5月25日

ハーレーダビッドソンジャパン株式会社

津波被害でカナダ沿岸に漂着したハーレーダビッドソンについて

ハーレーダビッドソン社(本社:米国ウィスコンシン州ミルウォーキーNYSE:HOG)は、カナダのブリティッシュコロンビア州グレアム島の沿岸に漂着したハーレーダビッドソンを、当該車両のオーナーである横山育生氏と協議の結果、多くの尊い人命を奪った東日本大震災の追悼品として、ミルウォーキーにあるハーレーダビッドソンミュージアムに寄贈いただき、保存することを決定いたしました。

当該車両を発見したブリティッシュコロンビア州グレアム島在住のピーター・マーク氏と地元カナダの販売店
であるディーリー・ハーレーダビッドソンカナダ、ハーレーダビッドソンジャパンの協力のもと、当該車両の所有者
である宮城県在住の横山氏と直接コンタクトを取ることに成功しました。ハーレーダビッドソン社は、当該車両を
ご本人の元にお戻しすることができないか等々、横山氏と協議を重ねましたが、未曾有の大震災から復興に向け苦闘している被災地の現状や横山氏の意思を尊重し、この大災害で失われたたくさんの命と、人生が大きく変わってしまった方々への追悼の意を込めて、当該車両をハーレーダビッドソンミュージアムへご寄贈いただき、保存されることとなりました。

ハーレーダビッドソン社は、車両をご寄贈いただいた感謝の意を表して当該車両のオーナーである横山氏と発見者ピーター・マイク氏をハーレーダビッドソンミュージアムにご招待する予定です。今後、当該車両はカナダの
ブリティッシュコロンビア州ビクトリアにある販売店スティーヴドレイン・ハーレーダビッドソンへ移送され、その後、
ハーレーダビッドソンミュージアムへ移送される予定です。

「ハーレーダビッドソンミュージアムは、この日本で起きた大震災の追悼品として漂着した状態のまま車両を保存
できることを誇りに思います。」とハーレーダビッドソンミュージアム担当副社長であるビル・ダビッドソンはコメントしております。

~ハーレーダビッドソンオーナーの横山育生氏のコメント~


東日本大震災により流失した私のハーレーダビッドソンが、被災から約1年の時を経過して約6,500kmも離れた
カナダで発見されたことについては、驚きの一言に尽きます。また、発見いただきましたマークさんに対しましては、本来、カナダを訪れ、直接御礼を申し上げるべきところでありますが、未だ震災の影響等もありますことから、
この場をお借りして改めて御礼を申し上げます。
遠く離れたカナダにバイクが漂着し、私の所有物であることが判明以来、多くの方々にご注目いただきましたが、
未曾有の惨事となった東日本大震災が風化することのないよう、現状のまましかるべき場所に展示いただき、多くの方々に見ていただけるようハーレーダビッドソンミュージアムでの展示を希望したところであります。
ミュージアムへの招待というありがたいお話も頂戴しましたが、震災の影響残る日々を過ごしておりますことから、
ある程度落ち着いたころにお伺いしたいと考えており、その際には、是非とも発見いただいたマークさんとお会いし、直接御礼を申し上げたいと切に願います。
最後になりますが、この度の一件も含め、震災以降、全世界の皆様から多大なる心温まるご支援を頂戴しました
ことに対し、改めて御礼申し上げますとともに、東日本大震災という世界の歴史に残る大惨事を後世に伝えていただきますようよろしくお願いいたします。


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2011.11.25

12月1日開始:東北地方の高速道路無料措置の詳細

東日本大震災に係る東北地方の高速道路無料措置が、2012年12月1日(木)から、対象区間、対象車両、利用方法が見直しされ再開されると発表になりました。(詳細は例えば東日本高速道会社のサイトなど)

今回の措置の大きな特徴は、避難者や被災地の復旧・復興のためだけでなく、観光振興の目的も含まれます。

毎日無料区間はどの車種でも無料で利用可能。ただし、土曜日休日に適用される拡大区間はETC搭載の普通車・軽・二輪車のみ、無料で通行可能です。

一般のライダーにも関係してくる「被災地支援・観光振興のための東北地方の高速道路の無料措置」について、適用区間や利用方法は以下の通りです。詳しくは、各高速道路会社などのサイトをご参照ください。


* * * * * *

被災地支援・観光振興の利用方法など

●開始日と終了予定日

平成23年12月1日開始、平成24年3月31日までの予定

●対象車種

全車種(ETC、ETC以外)

※ただし、土曜、休日等に対象区間を拡大する観光振興の対象はETC車の「普通車」「軽自動車等(二輪車)」に限る

●対象者

要件はなし。誰でも利用可能。

●必要書面

書面は不要。

●通行方法

特別な通行方法はなし。従来通りの方法と同じ。
なお、通行料金の支払がない(0円)の場合も、ETC走行時はETCカードを車載器に挿入して料金所を通行すること。
また、ETC以外では料金所で一旦停止し、入口では通行券を受取って、出口では係員の案内に従うこと。

土曜休日の無料適用はETC車(普通・軽・二輪)のみ。

●対象区間

【毎日無料区間】

・東北道 白河~安代
・常磐道 水戸~広野
・常磐道 山元~亘理
・磐越道 いわきJCT~西会津
・山形道 村田JCT~笹谷
・仙台東部道路 全区間
・三陸道 全区間(仙塩道路、仙台松島道路)
・仙台南部道路 全区間
・仙台北部道路 全区間
・秋田道 北上JCT~湯田
・釜石道 全区間
・八戸道 全区間
・百石道路 全区間

【土日に無料になる区間】

・磐越道 西会津~新潟中央
・日本海東北道 新潟中央JCT~荒川胎内
・山形道 笹谷~月山、湯殿山~酒田みなと
・米沢南陽道路 全区間
・東北中央道 全区間
・秋田道 湯田~秋田北、昭和男鹿半島~琴丘森岳
・秋田外環状道路 全区間
・琴丘能代道路 全区間
・湯沢横手道路 全区間
・日本海東北道 岩城~河辺JCT
・東北道 安代~青森
・青森道 全区間


※休日とは、土曜日、休日、平成24年1月3日、平成24年3月19日。

※休日無料適用させるには、出入り口通過のどちらかが休日にかかっていればOKです。
(例:金曜日の夜に高速道路に上がる→無料区間を通過→土曜日に高速道路を降りる→無料区間の分だけ無料適用)


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2011.07.24

ライダーだったら夏は北海道ツーリングだよね☆そー言えば大洗~苫小牧便はどうなってるんだったっけ?と思って調べてみたら、お盆も若干まだ空いているではないですか!

関東エリアから北海道に航路で向かうには、すでにだいぶ以前に東京湾内発の長距離フェリー定期航路がなくなってしまったため、一番近いのは大洗港発、ということになりました。

んが。

大洗も今回の大震災でかなり被災していて、そういえば、今シーズンの「さんふらわあ」はどうなっているのかな、と気になったので調べてみました。

大洗港のフェリー用第3ふ頭G・H岸壁は比較的被害が小さかったとのことですが、それでも港全体で液状化の被害が見られたとのことでした。(参考:国交省の資料(pdf))

大洗~苫小牧便は6月まで運休していたのですが、6月15日に復旧、運行再開していました。

現在、大洗~苫小牧便を運行しているのは三井商船フェリーで、「さんふらわあ」の「さっぽろ」「ふらの」「だいせつ」「しれとこ」の4艇が運行しています。

サイトを見たところ、お盆のハイシーズンも各日、若干台数ずつ空きがあるみたいです。

被災地も応援、試される大地も応援、という意味では、大洗~苫小牧便に乗るのもライダーにできる支援のカタチではないでしょうか。

ちなみに、大洗港のもよりの高速道路インターチェンジは水戸大洗インターです。

ドラとら(ドライブ・トラフィック)の渋滞・通行止め等情報はこちら

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2011.05.04

避難訓練と、全校生徒で腕立て伏せ

わたしが中学生の頃は、暴走族全盛時代が過ぎ去り、若者のエネルギーの捌け口の矛先が学校に向けられ、「校内暴力」が跋扈するという「荒れた中学」時代だった。

自分が通っていた公立中学校は、学区の半分が大企業勤務者向けの住宅地、半分は商社や航空会社系の家族が住む団地や宅地だったので、安定した親の収入もあってか、先生方が市内の偏差値ランキングが高かったとかいう過去の栄光を自慢するような、そんな校風だった。

しかし、その母校にも「荒れた中学校」時代が訪れる。
象徴的だったのは、隣の中学の生徒が起こした、いわゆる「プー太郎狩り事件」。桜木町あたりで浮浪者(当時の表記による)を中学生が憂さ晴らしのためだけに襲撃し、死亡させたという事件だ。

その頃、どの中学校にも「不良グループ」が存在し、母校もまたご多分に漏れず、そのような生徒は各クラスに一人か二人ずつは存在していた。

反社会的行為を働くのが彼らの“仕事”だったから、9月1日の始業式後、横浜も酷い被害を受けた関東大震災の日に必ず行われる「避難訓練」は、「かったりー」行事の筆頭であった。

いつもの避難訓練は、こんな感じで行われていた。

「えー、さてー、このあと非常ベルが鳴りますからね、そしたらいったん机の下に潜って、先生が合図したら列を作ってすみやかに校庭に出ましょう。走ったり、ふざけたりしないこと。校庭に整列したら点呼を取ります。えー、ではー……」

先生すらもだるい感じで注意事項が告げられたあと、ジリジリジリと火災報知機が鳴り出す。

そのダルさと言ったら、真夏の太陽が照りつける校庭での整列で、一気に気持ちまでダレさせてしまう。

今考えれば、火事であれば誰かが火災報知機を鳴らすかもしれないが、地震ならば、非常ベルが勝手に鳴り出すなんてことはないんである。それだけ、思考停止なルーティーンの行事だったのだ。

だいたい、小学生の頃から高校生まで、「廊下は走るな!」とわれわれは教育されてきている。避難訓練のときでさえ、ふざけて走り出したりすると、「ちゃんと列を作れっ!」なんて怒られたりする。大いなる矛盾である。

そういえば小学生のころ、台風やなんかで暴風雨警報が出ると、まさに「ボウフウウ!」って感じのときに集団下校を強いられてびしょ濡れになったり、光化学スモッグ警報が発令されると、カンカン照りの中、意識が朦朧としながら下校を強いられたりしていた。一番ひどい天候のときは、学校に待機させればいいのに、と子どもながらに思ったものである。
そんなこんなだから、毎年1回か2回行われる避難訓練もまた、そんなのやったって何の意味があるの?と、わたしだけでなく、ほとんど全員の生徒が、いや、先生すらも思っていたのではないか。

しかし、そんな気持ちを吹っ飛ばした出来事が、ある年の避難訓練のときに起こった。

避難訓練のときはたいてい、消防署から消防士さんたちが派遣されてきて、お楽しみ(?)の脱出シューターは誰がチャレンジするのか、とか、放水デモンストレーションだとか、そんなことにしか興味が沸かず、荒れた中学校の生徒たちは、相変わらず、ダラダラと行動していた。

ところが、である。

何かいつもと違うな、と感じたのは、避難を促すそのアナウンスが、いつもの先生の声ではなく、派遣されてきた消防士さんとおぼしきものであったときだった。しかも、その声はたいへんに緊迫感のあるものだった。

さらに、緊迫感を煽ったのは、各階の階段脇あたりに消防士さんが立っていて、

「走れっ! ダラダラするなっ!」

と叫んでいるのである。いつものダラけた避難訓練とは何か様子が違う。

だけど、これはあくまで「訓練」。しかも今までだったら、学校の言う通り避難すると一番、風雨が強いときに家に帰されたり、一番、日差しが強くて空気が濁っているときに帰されたりしてきたんだから、本能的にこれはもう、意味のないものだってのがみんなの心に刻み込まれている。
たまに来た消防士さんに叫ばれたって、そんな急に心変わり出来るもんじゃないのである、荒れた中学生どもは。

グランドにようやく整列が終わった1200人の生徒たち。

壇上に上がる一人の消防士さん。

どうせまた、ありがたーいハナシをするんでしょう、さっさと帰りたいよね、始業式だしね、とざわつく生徒たち。眩しい夏空からは強い日差しが照りつけ、夏休み気分が抜けない生徒たちはいっこうに静まる気配がない。

壇上の消防士さんは、その様子を厳しい顔付きで見守っている。

5分。

10分。

ジリジリと日差しは容赦なく照り付け、じとーっと汗が頬を伝う。

15分ほども経ったころだったろうか。ようやく、様子がおかしいと思い始めた生徒たち。壇上に登ったのに、いっこうにしゃべりださない消防士さんに気付き、いったん騒めきが大きくなったあと、これ以上ないってくらいに静まり返った。

おもむろに、マイクに向かう消防士さん。

オマエラーっっ!!!

怒り狂った叫び声がスピーカーを通じて校舎と校舎にこだまする。

ふざけんなーっ!!!

1200人もの生徒全員が、一瞬で身が縮まった。
これまで体験してきた先生方の、どんな怒り方をも凌駕する、真剣なる一声。

そこから、その若い消防士さんの長い長い「説教」は始まった。

いかにして消防士になったのか。
どのような訓練を受けてきたのか。
どんなに訓練を受けても受けても、火事の凄惨な現場では役に立たないこともある。
火事の人的被害とはどんなに恐ろしいものか。
水場の事故とはどんなに恐ろしいものか。
交通事故とはどんなに儚いものか。

ときにはホラーにすら感じられる、生々しい実体験を交えつつ、消防士さんは1200人を相手に小一時間くらいは語っただろうか。
その間、1200人は一切、口を聞けないほどの大迫力。

そして最後に、消防士さんはこのようなことを言った。

「ぼくらは君らの命を守る義務がある。助けるべき人がふざけていては、助かる命も助からない。だから、まずは今日のような避難訓練をないがしろにせず、真剣に取り組んで欲しい。君らは君らで自分の命を守る努力をしてほしい。真剣に取り組むことで、命を守るとはどういうことか、わかるはずだ」

そして……。

「今日の君らの痛みを身体に刻み込ませるために、今から腕立て伏せを行うっ! 腕立て伏せ30回っ! オラっ! 早く準備しろっ!」

そう言って、ほかの消防士さんたちも全員、地面に伏せた。

「いーーちっ! にーーーぃっ!」

真夏の炎天下、何がなんだかわからないまま、消防士さんの迫力に押されて土のグランドに伏せる全校生徒1200人。

「じゅーーーぅっ! おら~っ! 休むな!」

結局、全校生徒1200人全員が腕立て伏せを完了、みんなの制服は土埃で真っ白に。汗にまみれた顔や手足には、ベッタリと土埃がまとわりつく。

今だったら、公務員によるこんな“体罰”は許されるものではないだろう。しかし、この体験は確実に、命と真剣に向き合うことを感じさせてくれた出来事であった。


* * * * *

閑話休題。

バイク乗りも、ふざけてるんじゃないかって思うくらい、ラフに乗る人を見かける。
若ければ若いほどその割合は多い。
そういう人こそ、事故に遭いやすいはずなのだけど、幸か不幸か、運良く、いい年した大人になっても、痛い目に遭わない人というのは一定数、存在する。そして、若い頃と同じようにラフな運転をし続ける。
そんな人と話してみるとたいてい、自分が事故に遭ったことがないだけでなく、大事故・重大事故の目撃経験がない場合が多いように感じる。

人間、経験がないことは、これからも起こらない、と勘違いするように出来ている。

自分の場合、幸か不幸か、バイクに乗り始めてすぐ、死亡事故の一部始終を目撃するという経験をした。それによって、バイクとは命懸けの乗り物なのだと早期に自覚するようになった。

もちろん、そのような経験はないに越したことはない。

ならば。

少しでもリスクを回避するための方法とは、想像力を養うこと、そして普段からの「訓練」に尽きるのではないか。

3.11大震災からようやく少しの時が経ち、中学生時代の避難訓練を思い出してこんなことを書いてみました。

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2011.04.13

「交通事故死者ゼロの村」葛尾村に思いを馳せる

福島県は関東から近いこともあって、あちこちツーリングに出かけたことはありますが、中でも思い出深かったのは、雑誌のツーリング企画で訪れたこともあった「葛尾(かつらお)村」でした。
葛尾村は大きな福島県にあって小さな小さな村ですが、今回の地震と原発の問題で「葛尾村」の名前が出るたび、心痛めておりました。

わたしのバイク業界のデビューは、元々はツーリングをメインに扱っていた『ラ・モト』という雑誌からでした。

ラ・モトが方向性に迷い、ツーリング雑誌の体を無くした頃、ひょんなことからエンスー/カスタム系雑誌の『クラブマン』に移籍したのですけれど、ラ・モト在籍中の最後のツーリング仕事となったのが、「葛尾村(かつらおむら)」を訪ねる旅の企画でした。

Img_4977

人口2,000人の小さな村の大きな記録が

6月28日小さなニュースとなって全国に流れた。

最後に交通死亡事故が起きたのが昭和40年2月。実に一万日、

27年間もの間、無事故を誇る村、福島県双葉郡葛尾村。

ライダーにとったら桃源郷のこの素朴な村を訪ねてみた。

こんなリードで始まる記事中の写真には、「交通死亡事故ゼロ記録 今日で10004日」の看板が写っていて、テレビで「1万日達成」のニュースを見たと書いているから、葛尾村の存在を知ってから翌日には企画を通し、3日後には現地入りしたのだと思います。

カメラマンは市川潔カメラマン。現在、北海道の新冠町太陽というところに移住し、ブログでいつも素敵な写真を届けてくれています。クルマやバイクの撮影がメインですが、鉄道写真の世界でも第一人者なんですよ。市川くんにはラ・モト時代、数々のつらい(?)仕事にお供していただいた思い出があります。

さて、その葛尾村のツーリング企画は急に決めたせいか、広報車を手配する余裕がなかったからか、そういえば、自前のニンジャで葛尾村を訪れてました。現在も乗っている、“20万キロニンジャ(GPz900R)”です。

葛尾村の第一印象を思い起こしてみると、「いい意味で何もない」。当時はナショナルブランドのコンビニなどもなく、昔ながらの商店が村の目抜き通りにちょぼちょぼあるくらい。信号機は学校の前に一基だけ設置されているのみ。少し走れば、きれいに整備されたツーリング向きの道路が村を縦横し、ときおりトラクターに遭遇したり、放牧されているサラブレッドを眺められたり……といった、本当に素朴な村でした。
村長さんは松本さんで、助役さんも松本さん。村役場で対応してくれた総務課の方も松本さん。泊まった旅館も松本さんちという、村の半分以上が「松本」姓なところもまた、たいへん印象的でした。

福島県双葉郡葛尾村●プロフィール

阿武隈山系に属し、双葉郡の最北端。北東に浪江町、西に安達郡岩代町、南西に田村郡船引町及び都路村と会し、天王山(1,057m)を筆頭に多くの山々に囲まれ東西18.6km、南北8.6km、面積84.6㎢を有する。
人口2,005人、牛2104頭、世帯数475世帯。免許人口943人。自動車登録台数1,895台(うち4輪,115台、二輪30台、原付299台、小型特殊451台)。1世帯あたり自動車保有台数の平均は3.98台。村の特産物は椎茸、もち類、コーヒーなど。
昨年度の交通事故は5件、傷者は7名、死者は0。昭和40年2月7日の事故以来、平成4年6月26日をもって交通死亡事故ゼロの記録が10,000日を迎えた。

1992年9月10日発行(実際には8月6日発売)の『ラ・モト』(pp. 62-66)にはこのように書いてますが、浪江町だとか、椎茸だとか、原発問題でちょくちょく目にするキーワードに胸が痛みます。

1992年の時点で、交通事故死者ゼロ記録が1万日。葛尾村ではその後、2001年5月31日まで、36年間に渡って1万3000日以上、日本一の交通事故死者ゼロ記録を伸ばし続けました。その後も再び記録は10年近く続いていて、2011年4月12日現在で3604日に伸びています。

小さい葛尾村とは言っても、村内には片側1車線の整備された走りやすい国道399号と県道が通っており、山間の道はカーブも多い。しかし、交通事故対策で、道路やカーブミラーなどの清掃活動が盛んに行われていて、どこもゴミひとつ落ちていない、きれいな道ばかりでした。

記事中、小さな写真で「1万日達成記念碑」を紹介しています。そこには書かれていた碑文とは──。

「伸ばせ無事故を永遠に」

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2011.04.11

静岡、関東、長野でもしばらくは、ライダーは常に路面に注意した方がいいのかもと思った桜満開の日曜日

所用があったので、大地震以来初めて第三京浜~首都高を使って、みなとみらい、桜木町エリアへバイクで行ってみました。

横浜は比較的、地震の被害が少なかったエリアではありますが、それでもウチの近所では天井崩落とか、3階部分倒壊、街路灯が傾くなどの被害がそこここにありました。

わたしは普段から有料道路、高速道路をよく使ってますので、道路上の微妙な変化にすぐ気付きました。

とくに、高速の導入路やインターチェンジなど、高架になっているところのアスファルトが、あちこち長めにひび割れが出来ています。

あと、一般道だとマンホールや舗装のパッチの段差が大きくなっていたり、ひび割れが原因でアスファルトが部分的にはがれていて穴ぼこが開いたままになっていたり。

首都高だと、片側一車線ずつアスファルトを敷き直したりしますけど、車線と車線の間にわりかし大きなひび割れがあったり。

即、転倒につながるようなひび割れが放置されているわけではないのですが、たとえば車線変更する際には一応、タイヤが取られないように気をつけるとか、前方の路面状況が見えるように、車間距離をなるべく離して走るなどした方がよいでしょう。

あと、道路脇の斜面の法面に、崖崩れの補修あとがあちこちにありましたねー。

横浜でこの調子ですから、静岡や関東、長野でも、もっと揺れの大きかった地域では、路面状況がひどくなっている場所が多々あるかと思います。

国道や有料道路、首都高速などは、すでに復旧工事がされたと思われる箇所が何か所もありましたが、県道、市道レベルではまだ復旧工事に至っていない部分もあると感じました。

今まではバイクで走っているとき、道路に突然、穴ぼこが開いているとかいうことは滅多になく(むろん、山道、峠道は別ですが)、むしろ路面状況より交通状況に気を配って走っていたものですが、しばらくは、路面のひび割れや段差やなんかにも注意しながら走らないといけないな、と、満開の三ツ沢公園の桜を横目に長めながら思った日曜日でした。

追記★そういえば、第三京浜保土ヶ谷PAの料金所のところに、いつの間にか新しい出口(羽沢出口)が出来ててびっくりした。

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2011.04.07

震災と復興とバイク~歴史から学べることはあるか

東日本/栄村大震災からもうすぐ1か月。震災と復興とバイクについて、過去の歴史から学べることは何かあるでしょうか。

1995年の阪神淡路大震災に関連した地震当時から現在に至るまでの記録資料は、神戸大学附属図書館の「震災文庫」にまとめられていて、閲覧することができます。
これらの資料は新聞や書籍だけでなく、当時、避難所や仮設住宅などで配られていたボランティアによるミニコミ誌や、関連のチラシ、関係各所の書類なども網羅されています。資料は逐次、デジタルアーカイブ化され、インターネット上で利用することも可能です。また、一部ですが一次資料を閲覧することも可能です。

今回はその資料から、「オートバイ」「バイク」「二輪車」「単車」というキーワードで検索し、時系列でソートして「震災と復興とバイク」についてこれまでどのように語られてきたのか、まとめてみました。
少し資料の引用が長くなりますが、参考までに地震から何日後・何か月後・何年後かを付記して並べてみます。
(以下、各資料のタイトル中、一部太字強調は筆者による)

1995年1月25日~30日(地震から8日目~13日目)

震災当時、バイク便会社「セルート」が、社を挙げて組織的なボランティア活動をされました

1995年1月~3月(地震当月から2か月後の間)
朝の出勤時、自動二輪が多い。国道2号(長田区あたり)で / 大木本美通」(神戸大学附属図書館・制作、震災記録写真No.1(1995年1月〜3月) / 長田区周辺(車中から))

朝、出勤の足はバイクに頼る(北長狭通3丁目、ガードの南あたりで) / 大木本美通」(神戸大学附属図書館・制作、震災記録写真No.1(1995年1月〜3月)/ 三宮〜北野界隈)

震災当時の写真記録はこれらの資料から知ることができます。とくに、セルートによるボランティア活動の記録は貴重な記録です。

1995年1月25日(地震から8日目)

オートバイ盗にご用心 : あたなのオートバイは二重ロックしていますか」『地域安全ニュース : 地震対策特集号(自身番)』東灘防犯協会、東灘警察署.

1995年1月25日(地震から8日目)
あなたの大切な自転車、単車が狙われています。」『地域安全ニュース : 地震対策特集号(自身番) = Never Give up / no.2』東灘防犯協会、東灘警察署、p7.

1995年1月27日(地震から10日目)
体育館前バイク駐車禁止」『ひなん新聞 : 神戸大学体育館・避難所』神戸大学体育館・避難所世話人グループ、(1)、p1.

地震直後、まず、バイク関連の文言が出てきたのは、防犯の呼びかけと、バイク駐車に関する問題でした。
もともと、山坂きつい神戸近隣ではバイク需要が高く、震災で鉄道や道路網が寸断されている中、ますますバイク利用に依存しなければならなかった状況が見えてきます。
今回の震災では、東北エリアは冬季の雪や凍結でバイク需要が少ないと思われがちですが、太平洋岸ではもともと雪が少なく、比較的、一年を通じてバイク需要が高い地域もありますから、今後は復興に向けて、バイクが必要とされていくこともあるのではないでしょうか。

1995年2月(地震の翌月)

自動車で動くより、バイク、自転車、徒歩で動こう!/村井雅清[話]」『てんと村だより』阪神大震災救援ぐるうぷ事務局、阪神・淡路大震災ちびくろ救援ぐるうぷ.

1995年2月(地震の翌月)
二輪車事故が増加中」『交通ニュース, 臨時号[1]』(16)5、須磨警察署交通課.

鉄道や道路網が寸断され、激しい道路渋滞が発生。「復興物資輸送ルート」の設定や、復興標章の交付などが行われていたことが思い起こされます。

1995年2月1日(地震から15日後)

「バイクで駆けつけてみて : タダの社会のようだ 兵庫県南部地震救援レポート」『けんさん』長塚久佳、幸福会ヤマギシ会本部、305、p7.

1995年2月1日(地震から15日後)
救援活動の足にオートバイ3台 : 小型自動車振興会」『赤十字新聞 = The Red Cross Journal』、日本赤十字社,644: p6.

地震発生から2週間あたりの資料では、救援のためのバイクの役割が見えてきます。

1995年2月3日(地震から18日後)

「火の海から追われる人たちの48時間 : 大渋滞すり抜けバイク・ルポ──関西大震災 : 特報」『週刊朝日』今西憲之、朝日新聞社、1995.2.3、100(4): pp37-39.

1995年2月16日(地震から30日後)
ガレキの中から自転車、バイク修理・販売 : 深江北町3丁目──エナジーリポート」『グリーンニュース』アドゲイン、 1995.2.16,2: p4.

地震発生から1か月あたりで、被災地の生活者にとってのバイクに対する活動が報告されるようになってきました。

1995年2月28日(地震から1か月と11日後)

自転車とバイクは気を付けて!」『デイリーニーズ : 生活情報かわら版』田中健一、ピースボート, 1995.2.28, 32: p1.

1995年3月(地震から2か月後)
二輪車の事故防止」『交通ニュース, 臨時号[3]』、須磨警察署交通課.

1995年3月(地震から2か月後)
バイク便 緊急輸送に大活躍 : 水、食料品から医療用部品まで : 料金の請求などで悩みも──「阪神大震災」における企業の災害危機管理 :災害発生時の各企業の対応」『ELNET新聞・雑誌記事データベースからの事例集』エレクトロニック・ライブラリー, p71.

地震2か月後には、被災地でバイクを利用する人に向けたメッセージが発信されています。被災地の生活に密着したバイクの姿が見て取れます。
また、企業活動の側面で、ボランティアとしてのバイク便ではなく、企業活動としてのバイク便が復興の一助になっている一方で、料金請求の問題が出てきたことが報告されています。

1995年・時期不明

オートバイ修理・診断」 [チラシ] 全国オートバイ組合連合会.

バイク関係団体によるボランティア活動の貴重な一次資料です。
全国オートバイ協同組合連合会では現在、宮城県の要請で、石巻地区の災害支援ボランティア活動を行っています。このときの経験が活かされていると言えましょう。

1995年3月(地震から2か月後)

バイク大震災を走る」『Asahi news shop』今西憲之、朝日新聞社、190p.

1995年3月15日(地震から約2か月後)

なぜミニバイクが最良の交通手段になったのか──第2章 避難生活」『週刊朝日 臨時増刊 大震災サバイバル・マニュアル : 阪神大震災が教える99のチェックポイント』週刊朝日編集部、朝日新聞社, p.33.

1995年4月(地震から約3か月後)
威力発揮したバイク 第2章 その時企業は / 8 復旧を陰で支える 」『阪神大震災その時企業は : 徹底検証・危機管理』日本経済新聞社, 1995.4, pp.86-87.

ミニバイクで食料運搬 / 吉田澄生[談] 第8章 会社で地域で / 3 街を見捨てられない」『阪神大震災その時企業は : 徹底検証・危機管理』日本経済新聞社, 1995.4, pp.251-252.

1995年4月(地震から約3か月後)
移動手段は : バイク、自転車が主役──第一章 生き抜くために / 地震直後」『大震災を生き抜く:「阪神」が教える危機管理』時事通信社編集局, 1995.4, pp.18-19.

地震から3か月ごろ、マスコミは、移動手段としてのバイクを評価する記事が掲載していたことがわかります。

1995年6月(地震から約5か月後)

バイクで水をピストン輸送(第1次支援)──特集阪神・淡路大震災 : 「こわれた街」ですすめた救護・医療活動と再建への努力 / 灰塵の中を奔走 / 2 支援活動の手記(保団連、協会機関紙より) 」『月刊保団連 / 号外 開業医4カ月の記録』宮崎学、全国保険医団体連合会、p.19.

1995年7月(地震から約6か月後)
弱者を救え ボランティア・バイク部隊出動 : 一月二十七日午後八時四十分」『阪神大震災 : 瞬間証言』岩下肇秀/浜口タカシ、 瞬間証言、pp. 141-143.

1995年9月(地震から約8か月後)
バイク便で試薬を搬送 : ベックマン社」『災害医療阪神・淡路大震災の記録 : 被災地の命はどう守られたか / 臨床検査 / 検査関連企業の対応から』薬業時報社、p159.

地震から半年前後の頃には、医療現場とバイクの関係についての報告が増えていきました。
今回の震災では、阪神淡路を教訓に、緊急輸送用の手段としてバイクをあらかじめ配備していた医薬品卸会社があり、いち早く医薬品の供給ならびに情報収集伝達していたといいます(NHKの報道による)。

1995年9月(地震から約8か月後)

「災害時の強い味方 : どんな道でもスイスイ : 消防用単車 : フォーカス」『じゃあなる』尼崎市秘書室広報課、810: 1.

1995年10月(地震から約9か月後)
バイトよりバイク情報隊 ; お片付け・ボランティア ; お米や調味料どうぞ : 朝日ボランティア基地29日」『行った出会った学んだ : 阪神大震災救援 : 朝日ボランティア基地の158日 / 158日の記録 : 朝日新聞コラムとボランティアたちの声 / 1月』朝日新聞厚生文化事業団、p9.

バイク隊走る / 分玉基弘:神戸学院大学」『行った出会った学んだ : 阪神大震災救援 : 朝日ボランティア基地の158日 / 158日の記録 : 朝日新聞コラムとボランティアたちの声 / 2月』朝日新聞厚生文化事業団、pp.15-16.

「仮設作業所の見通しついた ; さよならバイク隊 : 朝日ボランティア基地30日」『行った出会った学んだ : 阪神大震災救援 : 朝日ボランティア基地の158日 / 158日の記録 : 朝日新聞コラムとボランティアたちの声 / 3月』朝日新聞厚生文化事業団、p62.

地震から半年を過ぎ、「災害に強い」バイクの報告や、バイクを使ったボランティア活動の報告記事が出てきました。

1995年10月(地震から約9か月後)

「20数年振りに息子の単車で / 天野敏明:アサヒエンジニアリング──第3部 大地震と私 : 投稿手記」『阪神大震災物語 : たくましき中小企業家たちのたたかい : ヒューマンドキュメント』中外書房, pp.202-203.

1995年12月(地震から約11か月後)
国道2号線のオートバイの列」『激震 : 阪神・淡路大震災に学ぶ──暮しへの影響<社会科編> / 2 人々の動き』西宮市教育委員会, p38. 

1996年1月(地震から1年後)
寒い中でのバイク通勤」『そのとき普及員は : 阪神・淡路大震災における普及活動 / 震災を体験して / 震災の中で』川上信二:神戸農業改良普及センター、兵庫県改良普及職員協議会、p15.

1996年1月(地震から1年後)
バイクで現地走った : 情報収集、ゼロから出発──第1部 / 兵庫県南部地震から一年 / 座談会 : 苦労を被災者とともに : 「ボランティア活動」を語る : 各宗派青年僧 / 弱い立場の人々にまず救援の手 」『中外日報』橋本寛昌:全真言宗青年連盟事務局次長、小林浩輝:京都教区浄土宗青年会会長、村上教文:浄土真宗本願寺派高岡教区寺族青年会前会長、中外日報社、25402: p18.

1996年1月(地震から1年後)
地震後の鉄道復旧過程との関連で見た自転車・バイク利用特性」『阪神・淡路大震災に関する学術講演会論文集──総論・都市計画・交通計画・防災計画』新田保次/松村謙慶、土木学会、pp.673-676.
 
1996年1月(地震から1年と1か月後)
「地域の第一線医療を守ろう : 被災歯科医院を単車で廻って」『阪神・淡路大震災と歯科医療 / 第四部』岩倉政城:東北大学歯学部、兵庫県病院歯科医会、p128.

1996年5月(地震から1年と4か月後)
歩行者、原付二輪、自動二輪等専用道路のルート整備」『交通科学──阪神・淡路大震災と道路交通問題 : 小特集 / 提言』三戸秀樹、大阪交通科学研究会、1(2): p.82.

地震から1年後あたりから、学術的な見地による報告が増えてきました。

1997年3月(地震から2年と2か月後)

日本救難バイク協会 : BRS-J : Bike Rescue Society-Japan : ボランティアNOW」『HEART phoenix : 兵庫県災害救援専門ボランティアニュースレター』兵庫県知事公室消防防災課、3: p3.

1997年6月(地震から2年と5か月後)
「バイク便 : そう、漫画のタヌキ。服はどろどろっす」『ザ・仕事 : 阪神大震災聞き語り』宮沢之祐、神戸新聞総合出版センター、pp.81-85.

1998年2月(地震から3年と1か月後)
「報告 : バス・二輪車を対象とした震災時の補完交通システムの特性」『IATSS Review = 国際交通安全学会誌──特集大震災と道路交通』新田保次/松村暢彦、国際交通安全学会、23(3)、p.44-51.

1998年6月15日(地震から3年と5か月後)
震災時でのバイクの効用 : 読者のひろば : ボランティア情報」『防災情報新聞 PR版』秋谷良雄:山之内製薬取締役総務部長、防災情報新聞社, 15: p16.

1998年7月15日(地震から3年と6か月後)
「災害救援ボランティア講座第一期生国布田毅さん大いに語る : 被災現場からバイク救助隊構想が・・・ : ボランティア情報」『防災情報新聞 PR版』防災情報新聞社、16: p16.

地震から3年後あたりで、災害救援のバイク活用やバイクボランティアの組織化について、数々の報告が上がるようになりました。

1998年10月(地震から3年と9か月後)

被災者救援、買い出しなどに自転車やバイクが大モテ──第12章 犯罪・メディア・選挙 : 社会一般 」『「毎日新聞」が伝えた震災報道1260日 : 1995.1.17-1998.7.17』六甲出版、pp.763-764.

1999年1月(地震から4年後)
「平成九年度優秀賞「原付バイクによる簡易消火システム」: 大阪市消防学校・防災研究係 : 防災救命テクノコンペを実施 」『けんせつ近畿 こうなる近畿 = Kounaru Kinki』近畿建設協会、34(1): p.11.

1999年7月15日(地震から4年6か月後)
「阪神・淡路大震災あの時私は・・・ : ミニバイクで営業所を駆け巡り緊急指示 : 手記-激震地からの証言<シリーズ第7回>」『防災情報新聞 PR版』伊本壽和:前ヤマト運輸兵庫主管支店長・ヤマト運輸京阪主管支店長、防災情報新聞社、28: p14.

1999年12月(地震から4年11か月後)
「震災救援サポート : ジャパン・レスキューサポート・バイクネットワーク : 特集市民社会とNPO」『フォト』時事画報社、46(24) pp.12-13.

2002年7月(地震から7年6か月後)
無線とバイクで被災地情報をいち早く!/オートバイの機動力を救援活動に!」兵庫レスキューサポート・バイクネットワーク[談]、『HEART phoenix : 兵庫県災害救援専門ボランティアニュースレター』兵庫県企画管理部防災局防災企画課、24: p2-3.

2003年10月17日(地震から8年9か月後)
「全国のバイクボランティアを結ぶジャパン・レスキューサポートバイクネットワーク」『防災情報新聞 PR版』防災情報機構NPO法人、79: p5.

2004年12月(地震から9年11か月後)
「ボランティアでつくる災害ネットワーク : 災害救援専門ボランティア楠本正明さん(情報・通信 バイク分野)がパネリストで参加 : 防災ミニファイル」『HEART phoenix : 兵庫県災害救援専門ボランティアニュースレター』兵庫県企画管理部防災局防災企画課、34: p4.

2005年1月(地震から10年後)
復旧作業にバイク購入──第3章 悪戦苦闘の日々」『耐震サラリーマン : 震災復興の心得』佐藤訓行、中日新聞社、pp112-113.

2005年5月(地震から10年4か月後)
「赤バイク──第一部 10年の時を越えて / 第五章 特別フォーラム「私の10年」 / 震災エッセー「私の10年」」高橋和彦、『時を超えて阪神大震災10年』産経新聞ニュースサービス、pp. 110-111.

2005年7月(地震から10年6か月後)
「自動車・バイク・自転車」『震災が教えてくれたもの : 阪神・淡路大震災』金子裕永、創栄出版、pp.140-145.

2009年1月7日(地震から14年後)
ビッグバイクが災害時に出動 : 震災の教訓をもとに登録、消防出初式で初披露」(記者発表資料/神戸市ホームページより出力).

2009年11月22日(地震から14年10か月後)
「赤い単車息子の形見 : 北の大地一緒に走りたかった──一語一会 : 阪神大震災15年」[朝日新聞 2009.11.22付] 朝日新聞大阪本社, p26.

地震から3年以上経っても、いや15年経っても震災は種々の側面から繰り返し語られ、その経験から生まれた「バイクボランティア」や「バイクレスキュー」もありました。

以上のように、阪神淡路大震災の記録から考察するに、震災からすぐの時点では、鉄道や道路網が寸断されたために、被災地住民の皆さんがよりたくさんバイクを利用していたことがわかります。そこから派生して、バイク駐車問題や、バイク盗難問題が発生していたことがわかりました。
震災からひと月ほどは、救援活動のためのバイクが報告されています。また、市民の足がバイクに移行するに伴い、バイクユーザーに向けて交通安全の呼びかけがされていました。
地震から2、3か月すると、バイクによるボランティア活動や、医療品搬送などの報告が増えていました。
地震から1年後あたりでは、バイクによるボランティア活動の報告や、学術的見地による報告が見られました。
その後は数年かけて、バイクによるボランティア活動が組織化されていくこととなったわけです。

今回の大地震からもうすぐ1か月。まだまだ震災真っ只中という感じでもあるし、阪神淡路のときとは規模も特性も異なる側面が多々あります。しかし、歴史や経験から活かせる何かもあるのではないかと思い、今回、このように紹介した次第です。

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2011.03.30

日本にはバイク文化があるじゃないか

震災復興のために、バイクがどのように役立てるのか。

災害救助、緊急援助・支援の段階から、復興の段階に徐々に向かおうとしているいま、バイク──とくに原付、原付二種、軽二輪(250ccクラス)、小型二輪の普通二輪免許で乗れる排気量(400ccクラス)あたり──のバイクの被災地における役割は、何かしらあるんではないかと思っています。

とくに、そもそも公共交通機関が衰退していた郊外型地方都市・農村・漁村の交通手段は、バブル前後からの20年間で、鉄道やバスなどの公共交通機関からクルマ社会に完全に移行していました。そこへ、地震の影響による道路被害や津波被害の結果、バイクは、

(1)移動手段としてのバイク

(2)情報伝達手段としてのバイク

としてその役割が期待できるのではないかと思います。
実際、すでに全国オートバイ協同組合連合会のバイクレスキュー隊が宮城県の要請を受けて、石巻市で物資の運搬や情報収集などのボランティア活動にあたっています。

この活動は外部からの働きかけによるボランティア活動としてのバイクの役割ですが、今後は、そこに生活する人びとにとってのバイクが、復興に一役買うことができるのではないでしょうか。

* * * * *

さて、ここからは現在バイクに乗っている/作っている/販売しているユーザーに向けてのメッセージ。

以前からたびたび申し上げているように、わたしは

「バイクは趣味の乗り物である前に、移動するための乗り物である」

と主張しています。これは何も、バイクの趣味性を否定するものではありません。バイクの利便性、バイクの快適性、爽快さを経験し、それらの何かを極めたい一部の人びとがバイクを趣味の対象にするのであって、バイクという存在そのものが交通社会の中に組み込まれる存在である限り、バイクの本質は第一義に「移動するための乗り物」でなければならないと考えています。

それはつまり、止まる・走る・曲がる、排気音や排出ガスなどの性能が現代の交通社会というシステムの中でいかに他の交通と共生できるかが、バイクに要求されるもっとも重要な性能なのであり、原付スクーターやスーパーカブなどビジネスバイクから、2、300万円もするスーパースポーツまで、基本的に等しく要求されるべき部分であるとわたしは考えています。

その上で、よりエンジン性能を求めたい人はエンジンチューニングをすればよいし、ブレーキ性能を高めたい人はカスタムすればよい。見た目をドレスアップしたい人はカスタムやペイントなどで飾ればよいし、メンテナンスを極めたい人はレストアという楽しみがある。歴史を語りたい人は旧車のコレクションをするなど。スポーツを極めたい人は、サーキットなどで腕を磨けばよいし、バイクのスポーツを楽しみたい人は観戦という方法もあるのです。

これまでも弊ブログで、「バイクは趣味の乗り物か、コモディティか」(2006.10.30)と題したエントリーでは、白モノ家電化するスーパースポーツモデルに言及し、「ドゥカティ・ニューモンスター696の発表会に行ってきた」(2008.06.16)では、

確かに、バイク業界は過去、生活必需品・社会の必要性から発展して、80年代にはバイクブームを経て“趣味の乗り物”として一部マニアのものだけに淘汰されてしまった感がある。

と書きました。

バイク業界に必要なのはトラフィック増」(2007.10.28)では、

日本の二輪車販売台数を支えていたのは、紛れもなく50㏄、原動機付き自転車である。免許制度、保険制度、車両区分制度などありとあらゆる国策に支えられて、「手軽に免許が取れて、手軽に購入できて、手軽に利用できる便利な乗り物」として、下は16歳から乗れる、歳を取ったらバスより便利、タクシーより安い、自家用車より場所を取らない乗り物として普及してきたハズだ。

と書きました。これに関連して、JAMAGAZINE 2010年7月号に『仕事・生活のバイクの現状とこれから』という文章を書きましたが、その中で、バイクの使い方は大きく分けて、「趣味のバイク・生活のバイク・仕事のバイク」の3つがあり、

「「仕事のバイク」の側面に関して、例えば警察の白バイによる警ら、郵便や新聞などの配達業務は現代日本の生活に深く浸透しており、当面変わることはないだろう」

と指摘しました。
とくに個別宅配の分野において、これほどまでに産業や社会生活にバイクが溶け込んでいる文化は、日本ならではと言えるでしょう。すなわち、これが日本のバイク文化の一端です。

JAMAGAZINの後半には、「4-1.バイクの用途に福祉の視点を」と題して、

「バイクの使用目的に「福祉」の視点を加えたらどうであろうか。買い物のための移動も、自分のためでなく、介護や介助が必要な人のための移動手段として二輪車を使うということになると、とたんにそれは社会全体の問題になってくる。個人的な欲求によるわがままな利用という響きのある「マイカー(=自家用車)」も、福祉の視点を枠組みに加えると、さまざまな改革が可能になってくるのではないか。
 公共交通機関の整備や維持には自治体に莫大な費用負担がかかる。空気を運ぶような使い方のクルマではなく、駐車スペースが少なくて済む二輪車を必要に応じて駐車禁止区域を解除し、利用しやすいような道路環境を整備するほうが、公共交通機関を整備・維持するより格段に安く済むし、ニーズに合った移動手段を確保することにもつながる。
 あるいは現在、郵便や電報の配達や医師の緊急往診や患者搬送に限られている「駐車禁止除外指定車標章」交付を、バイクに限って、対象を医師の定期往診や福祉関係者にまで広げることはできないか。省スペース・省燃費なバイクなら、福祉の視点でのアプローチが可能であると筆者は考えている」

のような提言を行いました。
すなわち、バイクの目的が運転者そのものの移動だけでなく、「誰かのためを目的とした移動」であるならば、そこには「福祉の視点が必要である」と言いたかったわけです。

* * * * *

さて、ここからは今、バイクに乗っていない方々に向けて、バイク業界側から働きかけたいメッセージです。

バイクは、優れてパーソナルな乗り物です。

バイクはたくさんの荷物が積めない。
バイクはたくさんの人を乗せることができない。

しかし、バイクには機動力があります。
クルマが入り込めない狭い場所でも進むことができます。駐車禁止エリアの少ない郊外や地方都市、農村、漁村なら気兼ねなく、一軒一軒回ることができます。

英語の交通を意味する語、transportationや、中国語の「交通」には、「情報」という意味もあります。
日本語の交通は、道路交通など陸運や海運、空輸、鉄道を指すことが多いのですが、移動するのは人や乗り物だけでなく、情報を伴って移動する、というわけです。

その情報の毛細血管をアナログ的につなぐには、バイクはなかなかに優れた乗り物ではないかと思います。

バイクは、登坂能力を保ったまま航続距離が伸ばせます。
自転車にはきつい山坂でも、バイクなら進むことができます。

原付ですらも運転免許が要るし、ヘルメット着用、時速30キロ規制など制限も多々ありますが、たとえばホンダTODAYなら4.6リットルタンクで燃費は届出値で73km/L。話半分としても、1回の給油で100km以上はゆうに走ります。スーパーカブやバーディなら燃費は届出値で100km/L以上。一回の給油(150円前後/1リットル×3リットル程度=500円くらい)で200~300kmは走ることができるのです。

バイクはそれなりの荷物を積んだまま走り続けることができます。
原付なら積載重量30kgまで、原付二種以上なら60kgも積むことができます。
原付二種以上なら二人乗りすることだってできます。

バイクはクルマに比べて劇的に維持費が安いです。
バイクの価格も、免許取得費用も、軽自動車税も、重量税も、自賠責保険も、任意保険も、ぜーんぶ安い。任意保険は原付・原付二種ならクルマのファミリー特約でまかなえてしまいます。

とりあえずの移動手段が必要な16歳以上の方なら、選択肢にあっていいはず。

問題は運転免許かもしれません。

もしかしたら、この20年ですっかり衰退してしまったバイク需要によって、バイクに乗るためには何が必要か、どうすればいいのか、という情報が人びとの頭の中からすっぽり抜け落ちさせているかもしれませんね。

たとえば、

・普通自動車以上の四輪自動車免許を持っていれば原付自転車を運転することができる

・原付、普通二輪(小型限定)、普通二輪(限定なし)は16歳から免許が取得できる

・原付免許はペーパーテストだけで取得可能(取得後、実技講習義務あり)

のような、基本的な情報ですら、考えが至る人が少ないかもしれません。

復興のために移動手段がどうしても必要、だけどクルマを購入するには100万円くらいもかかってしまう……、まだ18歳になっていないけど、とりあえずの移動手段が欲しい、そんな方は「バイク」という選択肢があることを考えてみてもいいんじゃないでしょうか。

現在、普通自動車・中型自動車免許をお持ちの方なら、普通二輪の小型AT限定免許取得を視野に入れてはいかがでしょうか。
もし、指定教習所に通うとすれば、学科1時間+実技8時間+検定で、だいたい最短4~5日間から1週間以内で取得可能ですし、教習料金はだいたい5万円程度です。
運転免許試験場なら、検定料+試験車使用料で4600円、交付手数料(2100円)合わせて一回で合格すれば全部で6700円しかかかりません。
普通二輪の小型限定免許は、125ccまでのバイクに乗ることができ、時速30キロや二段階右折の呪縛がなくなります。また、二人乗りが可能になり(取得1年後から)、積載重量が大幅に増えます。

もちろん、バイクは雨天や荒天に弱いですし、地方によっては冬場に乗るのはキツいでしょう。
バイクならではの安全運転テクニックがありますし、できるだけ安全な装備があった方がいいし、多少の整備の知識があれば尚よし。気軽に、無邪気に、誰にでもおすすめできる乗り物でもない、とバイク乗りの立場からも思います。

でも。
もうすぐやってくるであろう春先から、バイクに乗りにくくなる冬場までの約半年ちょっと。とりあえずの移動手段として、バイクは復興を手助けすることができるかもしれません

そういう意味でも、とりあえずバイク、そう考えているかもしれない方々に対して、バイク販売店さんは良質のバイクや整備技術を提供していただきたいし、安全運転やスポーツライディングに長けている方々は運転のアドバイスをしていただければと思います。
そのための準備は今からだって遅くないし、今後もできるだけ息の長い支援活動として、バイク側からのアプローチが可能ではないかと思うのです。

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2011.03.25

バイク関係業界からの支援など追加情報

気付いた情報をアトランダムに追加しておきます。

スズキ 追加支援
(義援金3,000万円に加え、下記の追加支援)
●支援物資の提供
・軽自動車 50台 : 軽トラック(キャリイ)等
・二輪車  100台 : 原付一種スクーター(レッツ4)等
・その他支援物資 : 飲料水、医薬品等
※支援物資と義援金を合わせ、総額1億円相当の支援

●募金活動の開始
・スズキ株式会社、およびスズキグループ社員による災害支援募金活動

ヤマハ発動機 追加支援
●支援物資の提供
・飲料水  ペットボトル飲料水(1.5リットル) 4,000本
・毛布 170枚
・簡易トイレ 5,400ヶ

●電動アシスト自転車「PAS」の139台の緊急出荷

ダイドードリンコ 義援金、緊急支援物資(pdf)
・義援金 5,000 万円
・緊急支援物資としてmiu 480ml ペットボトル 5,040 ケース(12万960本)
・各地方自治体との災害支援協定に基づき、飲料の無償提供を実施

ザ コカ・コーラ カンパニー 日本コカ・コーラ 復興支援基金など
・総額6億円(730万米ドル)の緊急支援(現金および飲料)
・「コカ・コーラ 復興支援基金」を設立、コカ・コーラの支援総額は25億円
・700万本を超える飲料(水、茶、スポーツドリンクなど)の提供
・災害対応自動販売機による製品の無償提供

WEBオートバイによるまとめ「<災害復興支援>ロードレース界では!Part1
<災害復興支援>二輪&ロードレース界では! Part2

電通パブリックリレーションズの「東北地方太平洋沖地震 各企業のこれまでの対応について」のまとめもご参考までに

ダーヌポことDirtNPには土系の情報がたくさんあります

トライアンフジャパン イベントをチャリティとして開催(HPはこれから作成されるとのこと。以下プレスリリースのコピペ)

名称: 「13th National R.A.T. “HEART” Rally in Japan」
(第13 回ナショナルR.A.T.“ハート”ラリー・イン・ジャパン
開催日時: 2011 年5 月29 日(日) 13:00 – 14:30 (受付開始11:00~)
開催場所: アートランドホテル蓼科
〒391-0395 長野県茅野市蓼科高原4035 http://www.hoteltateshina.co.jp/
参加資格: R.A.T. 会員及びトライアンフオーナー、主旨にご賛同いただける皆さますべて
参加費: 参加無料(参加記念品やドリンクの無料配布はございません)
催事内容: ・記念品チャリティ販売 ・集合記念撮影
・チャリティオークション
・八ヶ岳泉龍太鼓特別公演http://senryudaiko.com/ 他
*試乗会は中止となりました
主催: トライアンフジャパン株式会社
後援: 茅野市、茅野商工会議所、茅野市観光連盟、蓼科高原集客拡大会議、蓼科観光協会
協賛/協力: アートランドホテル蓼科、東洋観光事業株式会社、株式会社トロン、蓼科高原バラクラ・イングリッシュガーデン、株式会社ピラタスロープウェイ、ポニーハウスサラダガーデン、株式会社ユーズミュージック、株式会社ロックのこころ、風まかせ、タンデムスタイル、レディースバイク、ゴーグル、モトナビ、フリーライドマガジン、モトマグジャパン、別冊モーターサイクリスト、ヤングマシン、ビッグマシン、EDGE、ロードライダー、アウトライダー、ガ
ルル、ライダースクラブ、培倶人、トライアンフジャパン正規販売店各社他予定(順不同)
*今後の状況によって、開催内容を変更、あるいは中止する場合もございます。予めご了承ください。


ホンダ 被災地の通行実績情報マップ
Google自動車・通行実績情報マップ

ホンダ 発電機を利用の際の注意
・屋内で絶対に使わない
・ガソリンはポリタンクで持ち運びしてはいけない
など

川崎重工業 カワサキ非常用ガスタービン発電設備を計画停電時に運用する際の注意

あと、読者の方から情報いただいたので追加です。

ピースライダースクラブ奈良支部の募金活動
場所:針テラス(名阪国道の大型道の駅、奈良県奈良市針町345)
日時:3月27日(日)09:00-15:00
主催者:ピースライダーズクラブ奈良支部
収益の行方:全額、日本赤十字に寄付します。
備考:針テラス管理事務所(電話番号 0743-82-5533)の許可取得済みです。


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