
photo by Noboru Muto
2000年から2003年まで4年間、監督として鈴鹿8耐に参戦していた。
初年度はまさに雑談から始まった無謀なチャレンジで、あの時代だったからこその参戦だったといまなら断言できる。
当時、鈴鹿8耐のエントリー台数が激減。
てこ入れとして、鈴鹿で行われていたスーパーネイキッド(S-NK)クラスのマシンを8耐にエントリーできることにして、エントリー台数増を狙うとともに、バラエティに富んだマシンが走る鈴鹿8耐を目指していた。
スーパーNKとは、ネイキッドのビッグマシン、たとえばGSF1200とか、XJR1300とか、CB1300SFなんかが走るクラスで、わたしは1996年ごろから鈴鹿選手権にGPz900RやZRX1100などで参戦していた。
その流れで、あるときチームの人たちと
「スーパーNKなら8耐走れるんちゃうか」
というちょっとした雑談から話がまとまり、エントリーに向かって突き進んだように記憶している。
しかし、第1ライダーが交通事故で怪我をして出られなくなったり、マシン製作がまったく進まず第2ライダーにエントリーを辞退されてしまったり。
ライダーが二人とも走らないことになったのは7月の頭だったが、すでに雑誌で参戦を表明していたこともあり、あとに引けなくなったわたしは、前年、同じマシンでエントリーしていて、お世話になっていた大島正さんのつながりもあって、ほとんど面識などなかったにも関わらず、元世界GPライダーの高田孝慈さんと山口直範さんに急遽お願いすることにしたのだった。
電話でオファーをし、翌日には鈴鹿に足を運んでOKをいただいたのだが、あとで聞いたところによると、
「(マシンやチームが)あかんかったらすぐやめような」
と、高田さん、山口さんとで示し合わせていたという。
そりゃそうだ、どこの馬の骨ともわからないフリーランスになりたての小娘のチームで、まだマシンの形すら見えていないという体たらく。
そんなこんなで見切り発進してしまった自分のチーム。
8耐ウィークに入ってもいろいろな事件が起こったけれど、全員1週間ほぼ徹夜というような状況で、どうにかこうにか予選を突破。
はるか彼方に1コーナーが見えるグリッド位置だったけれど、ほんとうにすがすがしく晴れがましい気持ちで8耐決勝の朝を迎えた。
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8時間の間にもあれこれありつつも、初参戦ながら完走することができ、ついはしゃいでしまったのだけれど、隣のチームのライダーが亡くなったことをあとで聞き、複雑な気分にもなり。
「耐久は見るのも楽しいけれど、やるのはもっと楽しい!」
そんな言葉を残し、いっしょに耐久を走ることがなかった大島正さんのことを思い出しながら、他のチームにも水をかけられ涙を洗い流している写真です。
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台風直撃が心配な2018年の鈴鹿8耐。
今年もまたいろいろな人たちの思いを乗せて8時間たたかうチームにエールを!
今年もわたしはバイクで鈴鹿に向かう予定にしております。
そして、8耐が終わったら北海道ツーリングへ。
フリーになったとき、「日本のバイク文化は鈴鹿8耐&北海道!」とスローガンのように唱えておりましたが、今年も目一杯楽しみたいと思います。