G-FP2DF1P69Y 松下ヨシナリ・ロングインタビュー~その5: 小林ゆきBIKE.blog

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2012.01.10

松下ヨシナリ・ロングインタビュー~その5

松下ヨシナリ・ロングインタビュー~その1
松下ヨシナリ・ロングインタビュー~その2
松下ヨシナリ・ロングインタビュー~その3
松下ヨシナリ・ロングインタビュー~その4

新春特別企画としましてお届けしております、松下ヨシナリさんの超ロングインタビューも、いよいよ佳境に入ってまいりました。
身近な人たちの“死”が、マン島TTレース挑戦へのモチベーションになったと語る“走って喋れるモトジャーナリスト”松下ヨシナリ氏。
マン島TTレースに二度目の挑戦を果たした昨年のインサイド・ストーリーをお届けします。

* * * * * * *

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母の死、鎌田学の死、富沢祥也の死──。 再起を危ぶまれる大怪我をしてもなお、「もう一度、TTを走りたい」との決意。 その思いの実現は、生きるとは何かを問い直す、松下ヨシナリなりの手段ではなかっただろうか


──2回目のTT参戦は、どういう経緯で進んでいったんですか?

ショーヤ(富沢祥也)の事故がほんとにショックで。
ほんとにちっちゃい頃から知ってるし。
タカ(中上貴晶:2011年全日本ロードレースGP2クラスチャンピオン)とショーヤは、お父さんとお母さんは同い年だし。ほんとにショーヤとは仲良くしていたし。葬式は頼んで手伝わせてもらって。

(そのとき)絶対(TT)やろうって思って。バイクどうとかじゃなくて、やるっていうところから決めました

で、伊丹っちのTT挑戦の前に学(ガク)ちゃん(鎌田学)が亡くなってるんですけど。

で、学ちゃん亡くなって、(マン島に)伊丹っちの応援行って、そのときに、実はイアン(イアン・ロッカー:TTライダー)に、「もしオレが来年オレが出たいって言ったら、イアンまた手伝ってくれる?」って聞いたんです。直接本人に。
ま、(前回参戦時の転倒を)直接謝りたいってのもあったんですけど。迷惑かけてゴメンねとか、当時迷惑かけた人たちとか、病院のナースとかにも挨拶行って。

そういうのがあって、(マン島渡航は)伊丹っちの応援半分、半分は自分の用事を済まそうと思って。

そしたら、イアンはチームに若手二人入れてるし、コナー君(コナー・カミンズ選手。マン島在住の若手有望選手)の事故のあとだったんで、カワサキとも契約して翌年だし、ちょっと何とも言えないって。いや、もしかしたら多分無理かもしれないっていうような言い方されたんです。別にお前と組みたくないとかじゃなくて。
イアン、ありがたいことに俺のこと“友だち”って言ってくれるからね。ベストフレンドだって言ってくれるからね。お前とは友だちだけど、来年のお前のTTは僕は手伝うことはできないと思うって。

で、どうしようかな、って思ってて、帰って来て。で、ショーヤの事故で、もうやろうって決めてて。

で、戸田さん(戸田隆G-TRIBE代表。サンデーレースから全日本、鈴鹿8耐までマルチにこなすトップライダー)とかいろいろ周りの人に相談したら、「じゃあビーエムとかいいんじゃないの?」って言われて。
「そっか!」って。(スーパースポーツモデルの)S1000出たし。
リコなんちゃらっていうヤツ(リコ・ペンツコファー選手:ドイツ人ライダー)が、突然、(S1000でマン島の)シニア(TT)でとんでもねぇタイムで、順位で走ってたなあと思って。そう言えばアイツ。アイツすげーと思って。
で、写真ひっくり返して、あぁあぁそうそう、コイツ、コイツと思って(笑)。

バイクは自分で用意して行こうと思ったんですよ。自分でバイク用意して、バイク作って向こうに持っていこうと思ってたんですよ。で、ストック仕様チョボチョボみたいな感じの仕様で持ってけば、なんとかなるんじゃないかなって。あんまり、深く考えてなかったんですけど。

(BMW)ジャパンさんに、車両2台のレンタルは取り付けてたんですよ。けっこう早い段階から。早いって言っても12月くらいですけど。

バイク作り方の方向性を知りたいから、本社のモータースポーツのマネージャーに、マン島はどんなセットしてる? どんなパーツを選んでる? ってアドバイスが欲しいってメールを打ってくれってお願いしたんですよ。
そしたら、そんなのわからない、でもって、リコを紹介してくれたんです。ヤツはみんな教えてくれるよって。

で、リコから連絡きて。で、聞きたいことを箇条書きして送って。
そしたら、「マン島なんて250キロでモトクロスするようなところなんだから、セッティングもクソもねぇ」って返事が返ってきて(笑)。これは、リアルにそういう風に書いてあったんですけど(笑)。

で、来年、自分のチームを立ち上げることにしたんだ、と。ちゃんとしたチームで世界耐久を闘って、僕はTTとマカオGPを闘うことに決めてるから、一緒にやろうぜって。

超ミラクル起こったよ!」って!

まぁ、そこそこきちんとした持参金は必要で。ちょっとじゃなくて、がっちりした金額なんですよ。
でも、こっちでS1000を2台レーサーにして輸送すること考えたら、トントンかちょっと高いくらいなって。
でも、リコのノウハウが入るし、メカニックも世界耐久を闘うメカニックが来てくれるって言うから、いやトントンじゃなくてこっちのがお得かなって。ぜんぜん即答で、いいよ、それでって。

で、またそっからスポンサー獲得活動で。

東日本大震災に見舞われるも、世界選手権耐久ロードレースシリーズ・ボルドール24時間耐久に急遽、参戦

世界耐久も、ほんとに笑い話ですけど、出るつもりはぜんぜんなかったんです。

4月に、ちょっとテストに来なよって。タイヤも違うんですけど。
オレ、ダンロップなんですけど、「TTに近いストック仕様でボルドール24時間耐久の公式予選の前に練習走行があるから、それで走れるよ。お金要らないから来なよ」って。そんなこと言われたら行くじゃないですか。

行くって決めてから地震東日本大震災)が来たんですよ。
やっべー、どうしようって。一瞬、マン島TTなんてやってる場合じゃないかなって思ったんですよ。
そしたら、かなりいろんな人から、それこそスポンサーになってくれた人たちから、「ばか、なんだよ、行かなきゃダメだよ。こういうときだから行くんだよ」って。募金とか、そういう救助活動とか、そういう活動は、そういうことができる人がやるから、お前はお前でできることをやりなさいって。そうだよなって。

で、予定通り、ボルドールに行くんです。

行く前に、酒井大作君と寺本幸司君と飲みに行くんです。大阪で。

そしたら、寺本君と酒井君が、エントリー用紙持ってきてて、「松下さん、第2ライダーで登録になってますよー」って。
聞いてないけど(笑)、って。
そのとき、初めてエントリーされてることを知って(苦笑)。いやいやいやいや、オレ、出るの聞いてないし。「でも、エントリーしてるんだから、出るんやないの?」って。

すぐ問い合わせのメールをしたら、「エントリーしてないと練習走行も走れないから」って。「でも、もしタイムとか良かったらレース出ちゃえばいいじゃん」って。ひじょうにいい加減な返事が来まして(笑)。

まだ、24時間走る身体ができてないから。ちょっと怪我を引きずってたし、ちゃんとフィジカルのトレーニングはしてたけど、24時間なんかやれる身体にはなってなかったらから、無理だろうなと思いながらも。

で、練習走行走り始めたら、なんか出る方向に辻褄が合ってきちゃったんですよ。タイムも良かったし。
驚いたのは、鳴り物入りで来たチームメイトのスロベニアのチャンピオンが、骨折って速攻で乗れなくなっちゃったんですよ。テレビとか連れて来てるのに、自分の国の記者なんかいっぱい連れて来てるのに。けっこう有名人らしいんですけど。
で、全部で4人いたライダーが3人になっちゃったんです。で、なんとなくお前出なきゃ、こっちの31番車リタイヤになっちゃうですけどって雰囲気になってきて(笑)。

でもね、今考えると、ライダーなんて、他のチームからもいくらでも引っ張ってこれるから、オレでなくてもよかったハズなんだけど。

プラクティスではタイムも遅かったんです。それは、わざとなんですけど。だって、初めて走るサーキットだし、見たこともないヨーロッパのサーキットで、初めて乗るレーシングバイクだし、初めて使うピレリのスリック、でエンデュランス履かされたり、ミディアム履かされたり、ころころころころ変わって。しかも30分くらいしか時間くれないんすよ。いつも。
しかも、他の外人が乗りたい乗りたいっつって乗るから、俺はいつもセッション中3〜4ラップ出来れいいほうで、日本人はこうやって見てるだけだし(笑)。行けって言われたらいくっていう。

でもまあ、最後に結局予選の日が来ちゃって。
じゃあ、いいや、ちょっとだけアタックしようと思ったら、31番車に乗るライダーの中で一番速くなっちゃった。
チームが2台体制で、ライダーが6人いる中で、3番目のタイムが出ちゃって。みんな大拍手で。すげーなって感じになっちゃって。
もちろん出るよね、って感じになって、じゃあここまで来たら出ます出ますって言って。

リコがマネージャーで監督やってて、リコが「お前一番速いんだから、スタートやるよな」って。
で、もう一人、31番車がチェコのマイケル、って、マイケル・インディって、多分見たことあると思うけど、TT出てる。僕と同じ「花の2009年ニューカマー組」の(笑)。ちょっと褐色のインディアン気味の。ヤツが一緒に出てて。で、マイケルかマツか。
そしたら、マイケルが辞退したんですよ。「オレ、緊張しぃだから、マツ、お前やれ」って。
でも、耐久のスタートは好きだし、しょっちゅうやってたし、世界選手権ももて耐もそんなに変わらないだろうって。で、いいよいいよって」

──ボルドール、お客さん多いでしょ?

「多い、多い!
すごかったですよ。蟻の這い出る隙間もないくらいびっしり。
MCのおっちゃんがフランス語でなんとかなんとかって。(お客さんが)うわ~~!って。なんとかなんとか、うわ~~って。客を煽るの。
うわーすごいなーって。ちょっとした外人タレントのライブコンサートみたいになってて。

そんなことまでやらしてもらって、の、マン島なんで

いよいよ、次回は最終回! 乞ご期待。

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