松下ヨシナリ・ロングインタビュー~その4
松下ヨシナリ・ロングインタビュー~その1
松下ヨシナリ・ロングインタビュー~その2
松下ヨシナリ・ロングインタビュー~その3
新春特別企画としましてお届けしております、松下ヨシナリさんの超ロングインタビューも、いよいよ佳境に入ってまいりました。
昨年、マン島TTレースに二度目の挑戦をした“走って喋れるモトジャーナリスト”松下ヨシナリ氏。初挑戦のTTは、大転倒で大怪我を負ったにも関わらず、二度目の挑戦を決意したのはなぜか。その3に引き続きお届けします。
* * * * * * *
2008年三宅島モーターサイクルフェスティバルにて、左から松下ヨシナリ、ミルキー・クォイル、小林ゆき、イアン・ロッカー
──初参戦の2009年は転倒して大怪我に終わりました。転倒したとき、何が起こったんですか?
「スロットル戻してブレーキかけたときに、曲がれないって思ったんですよ、あんな高速コーナーなのに。
気持ちよくなっちゃってたから、やばかった状況で走ってたと思う。
楽しくてしょうがなくて、恐怖感がなかった。
で、多分、あのゾーン、あの状況を乗り越えて走りきると、僕、たぶん一気に真ん中へんを走れるライダーになったと思う。あのラップ、ぜったい(1周のラップライム)18分台入ってたと思う。だってガイ・マーティン(※近年、常にトップ3に入る有力選手)がなかなか離れないんですもん。そりゃあクラッシュしますよ、だってそんなセットアップになってないんだもん。俺のR1(笑)」
──転倒後、我に返った瞬間って何を考えてましたか?
「当たった瞬間は見てないんですよ。行く方向見て絶対曲がれると思って。曲がれると信じきって。
そういうやばい瞬間は予選から何回かあったんですよね。ドキっとするというか。
とくにマウンテンはいやだった。コワイ。今でもコワイですよ。苦手。
マウンテン好きだって言ってる人たちは、多分、遅いバイクでマウンテンコースを経験している人だと思う。だって400とか125だったら、あそこ全開で走ったら絶対楽しいもん。だけど600でも走ったことないんで、感覚はわからないけど、1000で飛ばすのはあそこぜんぜん楽しくないですよ、めっちゃコワイですよ、バイク重たいし、どっち行くかわかんなくなっちゃうし。遅いバイクを経験していると楽しいと思う。
でも、全開にならないと(1周)20分なんて絶対切れない。23、22、21分出てくると、景色が全然変わってくるから。
曲がる? 曲がれる? って思ったけど、やっぱり曲がり切れずに、アウト側の土手にばーんってなったところまでは覚えているんです。
で、そっから先は数分間、失神し。
(のちに)車載カメラ(の映像)を見て憶測するに、僕はたぶんコース上に人形みたいに投げ出され、バイクはこっち側に、ちょっと高い土手のところにこういう風にピンボールみたいに、粉々になってるんです」
我に返ったのは、あのブラックハット(コーナーの名称)のマーシャルボックス(フラッグマーシャルが待機する場所)の左側の土手の上にひっぱり挙げられたの。けっこう上までひっぱりあげられた感じだったなぁ。で、「起きたぞー」っみたいな感じになって。
なんかすごかったですよ、あの体験は。英語でしゃべりかけられてるのに、日本語で頭に入ってくるんですよ。
だからわかるの、言ってることが。
「ブーツ脱がせろー」とか、「ヘルメット脱がすぞー、いいかー」とか。オッケーおっけーって。
でももう右半身がまったく動かないからヤベーって思って。
で、まず僕が転ぶと僕が一番最初にすることは手とか脚とか動かすんです。でも右半身がまったく動かないから、ヤベーやっちゃったかなー神経とか。あーあやっちゃったなー、気持ちよかったのになー、残念。みたいな。バカだなーオレ。って。」
中途半端で一番になれなかった自分と、身近な人の相次いだ死と。
──二度目の挑戦をしようとなぜ決意したのですか?
「僕はね、しつこい性格なんですよ。
ほんとに小さい頃からそうなんですけど、中途半端で、一番になれない人だったんですよ。やりきれないっていうか。そういうのが自分の中でずーっとあって。
こんな歳になっても、あんとき甲子園も出れなかった、あんときはって。一番になれなかった。
別に、TTに出て一番になるとかじゃないけど、あんな中途半端な終わり方して、TTに出て、いろんな人に助けてもらったのに、イアンとかにも迷惑かけて、もし怪我が治ったら、元通りなるんだったら、もう一回やってみたいなっていうのは、もう入院してたときから思ってました。実は。絶対もう一回やってやるって思って。
マン島で入院してた時は、お見舞いにイアンとかゴールドレプリカ(※特別なライダーだけが貰える稀少なトロフィー)もらってわざわざ持ってきて見せに来てくれたりして。向こうで入院してるときにすでに「絶対もう一回やってやる」ってちょっと泣きながら思ってたりして(笑)。
そしたら、(日本の)医者がなおんねぇって言うから。治らないかもって言うから。
向こうの医者は「だいじょぶ、だいじょぶ、治るから」って。ノーブルズホスピタル(マン島の病院)のインド人の医者は、「このまま治るから手術はしない」って。
でも、レントゲン見ると、肩甲骨とか粉々に砕けてるし、足首とかばっくり割れててちょっとずれてるんですよ。これ手術しないわけにはいかないなって。
で、すぐに鎌田学ちゃんとか、ひどい怪我してた松戸直樹とかに電話して、「ちょっとさ、こういうレントゲンの状況でさ、こんな感じなんだけど、どう思う?」って。そしたら、「一日も早く帰って来た方がいいよ」、って。
そしたら医者が「帰っちゃダメだ」って。「この状態じゃ動かせないからダメだ」って。で、「帰りたい、帰りたい」って毎日大騒ぎして(笑)。
10日後にやっと帰してれることになったの。船もダメ、飛行機もダメみたいな感じだったんです。結局、どっちかじゃないと(島だから)出られないじゃないですか。困っちゃったなーって。
で、結局、看護師付きだったらしょうがないってことになって。
日本に帰って来て、手術してもらって。
最初のお医者さんに「治らないかもしれない」って言われて。
っていうか、「こんなところ粉々にする人初めてだし、症例も少ないからわからない」って。
で、「足首も砕いちゃうと骨壊死する可能性が高い骨だから、仮にくっついたとしても骨壊死するかもしれない」って。
でもきれいに治してもらったんですよ。リハビリもかなり頑張って。で、いまもお医者さんかびっくりするくらい、治してきれいに治って。
大学病院だからかもしれないけど執刀した先生は出てこなかった。で、肩の権威の整形の先生と足首の権威の先生が別々に同時に手術したらしくって。もうオペ室は満員御礼状態だったもん。
全身麻酔だったけど、珍しい手術だからギャラリーがいっぱいいて(笑)。
肩はほんときれいに治していただいて、足首もきれいに治していただいて。
今では「骨壊死もほぼ大丈夫だ」って。「そのかわりボルトは取らない」って。ボルトとプレートが肩に12本入っているんですよ。取るのがたいへんなんですよ。
リハビリ? もうね、何カ月ってリハビリはかなり頑張りましたよ。
伊丹っちが(TTに)出た年(2010年)は、ほんとにリハビリの1年でしたね。怪我を治さないとどうしようもないんで。
バイク乗れるようになるのに10ヶ月かかりました。
乗れるようになっても、全身筋肉なくなってるし、太ってるし。いいとこ一つもなかったですね。ぜんぜん身体も変わっちゃって。乗り方も変わっちゃった。
でも、いい方に変わったみたいですね。力が抜けたっていうか。前はすぐ(手に)豆を作る乗り方してたんですけど、出来にくくなった。手、ぷにぷにですもん。前はカチカチになるくらい豆が出来て、でも今はぜんぜん大丈夫ですね(笑)。
2010年、伊丹っちがマン島行く直前。これは暗い話なんですけど。5月に(鎌田)学ちゃんが死ぬんです。
学ちゃんが死んで、仲間で彼の葬式を出したんですね。
そのとき、かなりリアルに人は死ぬよねって感じて。
もともと、最初にマン島を目指そうと思ったきっかけも、母親が死んだことが大きく関わっているんです。
2005年くらいかな。65歳で死んだんですけど、難病だったんですよね。だんだん身体の筋肉の機能が失われていくっていう。ALSとか筋ジストロフィーとかああいう系統のやつで。でも結局病名不明でした。どの病気にも当てはまらないって。
母親が「やりたいことがあったら、とにかくどんどんやんないと。人は死ぬからね。一生懸命生きなさいよ。じゃあね」って言って死んだんです。それはけっこう大きかったですね。
それとタイミングが重なってたから、マン島に行こうとか、マン島に連れてってくれとか、マン島行ってレースに出ようとか、レースに出るモチベーションになったって言うか。
だから、2回目の、怪我したあとの、2010年も春に学ちゃん死んで、ちょっとふつふつとしてたんですよ。なんであんなすごいヤツが。なんであんな死に方するんだろうって。しかも業界の損失もいいところじゃないですか。これから牽引してもらわなきゃいけない役なのに。勘弁してくれよって思って。
で、なんかやっぱしやろうかなって。もう一回マン島ちゃんとやろうかなって。
でもなんとなく人に言えなくって。
そしたら、9月に今度はショーヤ(富沢祥也)が死ぬんですよ。うわー、これもう絶対やる。オレ絶対やってやるって。
で、カミさんに話したら、超ブチ切れられ。「はぁ?」みたいな。
「こんな目に遭ってまだやろうっていうの! 馬鹿じゃないのーっ!」って。超怒ってたなー。
一回目のときは半分だまし討ちみたいな感じだったから。「だいじょぶだいじょぶぜんぜん平気だから」って。マン島なんか知らないじゃないですか、(名前くらいは)聞いたことあるかもしれないけど。
一回怪我して帰ってきて、みんなに死ぬだの生きるだの言われて、だいぶ情報を吹き込まれて。オレの原稿を影で盗み読みしてたみたいで。
死ぬだの生きるだの危ないだの書いてあるじゃないですか。
基本、反対のスタンスで。応援はしてない。でもなんだかんだ言ってしぶしぶ容認みたいな感じで。離婚もせず(苦笑)」
(その5にまだまだ続く!!)
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