被災地の二輪出荷が増加、その背景をもう少し考えてみる
東日本大震災の影響で、被災地を中心に原付含め二輪車の出荷台数が大幅に増えていると日本自動車工業会(自工会)が発表したそうです。
報道では、二輪車の利便性や機動力、省燃費性が見直されたのではないかとされていますが、他にも東北ならではのバイクを受け入れる背景があったのではないかなと考察(というには大げさですが)してみました。
報道によると──。
「災害時での二輪の利便性が見直され、経済性に優れた原付きを活用しようという人が増えた」(ホンダの大山龍寛・二輪事業本部長)事情があり、宮城県では約2・4倍も増えた。震災直後に交通機関のダイヤが乱れた都市部でも、通勤手段として二輪車が見直された。特に、乗用車並みのスピードで走行できる「原付き2種」(排気量50cc超~125cc)の売れ行きは著しく、宮城県では約4倍を記録したという。
日本自動車工業会の二輪車特別委員会が21日、排気量50cc以下(原付1種)の2輪車の2011年の販売動向に関する緊急アンケートの結果をまとめたところ、「前年維持」「増えた」という回答が合計56・6%に達した。全国の382の販売店を対象に行った。東日本大震災を受け、小型で走りやすい原付の経済性や災害時の有用性が見直されている。 販売店の多くは増加要因として経済性への期待や福島、岩手、宮城など被災県での復興需要をあげた。11年1―8月の原付1種の国内出荷台数は同11・5%増の17万6806台。125cc以下の原付2種を含めても低調だった09年の出荷水準を上回っており「底打ち感がある」(自工会)という。
販売好調の主たる理由は二つある。第1に、道幅が確保された道路ならば隙間を縫って走行できる「機動性」である。第2に、四輪車に勝る「経済性」である。原付第1種ならば10万円台前半から購入できるし、低燃費でランニングコストも低い。津波被害により、東北地域では40万台以上の四輪車が流されたとされており、経済的な事情から「生活の足」を四輪車から二輪車へ替えた被災者も多い。当分のあいだ、被災地における“特需”は続くと見られている。
以上、太字は当ブログによります。
ここに挙げた3つの記事では、とくに週刊ダイヤモンドの記事がたいへん秀逸だと思います。
法律的な区分の基本的解説から、決して楽観視していないメーカーへの直接取材なども短い記事中に網羅しており、二輪関係者にとって必読記事です。
記事には、二輪の機動性とは何かを「隙間を縫って走行できる」とわかりやすく解説し、瓦礫が散乱した被災地の光景が目に浮かびます。また、二輪の高い経済性とは何かについては、その比較対象を「四輪車に勝る」とし、郊外・農村・漁村地域の生活の足が、鉄道やバスなど公共交通機関ではなく、クルマであったことをうかがわせる記述にまとめています。
●東北の太平洋側では、バイクは慣れ親しまれた生活の足だった
さて、前述のように報道では、今回の大震災で二輪の利便性・経済性・災害時の有用性・機動性が見直されたとされていますが、わたしはこれに加えて、東北の太平洋側では二輪車が慣れ親しまれた生活の足であったことが背景にあるのではないかと考えています。
その理由は、「地勢・風土」と「産業構造」にあるのではないか、加えて「昔免許なので二輪車運転可能な世代がまだまだ現役バリバリである」ということも指摘しておきたいと思います。
【地勢・風土から考えてみる】
まずは「地勢・風土」に関して。
①東北地方の太平洋沿岸部は積雪が少ないため、地域によっては冬でも二輪車が実用可能である
福島県のいわきあたりや、宮城県の仙台あたりだと、意外に冬でも通勤・通学・仕事ならばバイクに乗るということを聞いたことがあります。岩手県・青森県あたりだとわからないですが、1日ほんの数キロの移動ならば、東北の太平洋側ではバイクの実用が可能という背景がそもそもあります。
②平野部が少ないので、自転車よりバイクの方が実用に適っている
より経済的で免許が要らない気軽な“足”は自転車ですが、東北は海沿いも含めて山坂きつい複雑な地形の地域が多く、自転車が実用に足らない場合もあります。なので、バイクまたはクルマが必需品になっているというわけです。
③公共交通機関が実用に足らない
都市部以外では鉄道が廃止されたり、廃止に至らなくても鉄道やバスが1時間から数時間に1本しかないなど、生活していくためには公共交通機関に頼れない地域がたくさんあります。定期的に学校や病院に行くための鉄道やバスはあるかもしれませんが、自由な時間で買い物や病院、役場に通うとなると、公共交通機関以外の足が必要で、80年代まではそれが原付や二輪車、80年代以降は軽自動車や普通乗用車に移ってきました。荷物が大きいとか、誰かを乗せるのでなければ、パーソナルモビリティとしてはバイクはそもそも重用されていた背景があります。この話は「昔免許の世代」にもつながります。
④生活圏の範囲が意外に広い
場所にもよるでしょうけど、一番近いコンビニ・スーパーまで片道10km、病院まで20km、役場まで30km……なんて距離感は、郊外や農村・漁村部では当たり前の距離だったりします。これを自転車で行き来するのはなかなか困難ですし、かといって、平時ではない大震災後、少ないクルマやガソリンで全てをまかなうのは難しく。そこでバイク、というのは当然のことだったと思います。
【産業構造の特徴から考えてみる】
「産業構造」に関しては、地勢・風土にも多いに関係あるのですが。
①第1次産業の比率が高いため移動の足が必要だった
そもそも東北地方は農業・漁業などの第1次産業の比率がひじょうに高く、畑や田んぼ、港など仕事場へ行く手段として、またちょっとしたモノを運ぶ運搬道具としてバイクが普及していた背景があります。
第1次産業の特徴として、
・若年層の就業・女性の就業率の高さ
・高齢者の就業
が挙げられます。
若年層は普通自動車免許よりも早く免許取得可能な16歳、17歳が必要に迫られて原付や二輪免許を取得する例があるでしょう。
女性が第1次産業に従事するには、やはり移動の足が必要で、免許取得率が高くなります。80年代まではそれが原付でしたが、原付で“道路交通”に慣れ親しんだ女性たちはやがて、郊外型大規模スーパーなどに買い物に行くためや、廃止された鉄道やバスの代わりに子どもたちの通学の送り迎え、また高齢化に伴い高齢家族の病院やデイサービスへの送り迎えなど、“誰かを乗せる必要に駆られて”軽自動車や乗用車に移動の足を変化させてゆきました。
しかし、女性が運転免許を取得し、原付や軽自動車を運転することで、家族間には道路交通に対する親しみも生まれ、次世代の子どもたちが運転免許を取ることに対して抵抗感はなくなります。
②第2次産業の比率が高まったことにより現金収入が増え、70~80年代は男性が趣味的にバイクを購入したのではないか?
70年代の第1次バイクブームから80年代後半ごろの第2次バイクブームにかけての時代は、マイカー(四輪車)の普及率は今よりずっと低いものでした。第1次産業から第2次産業に産業構造の比重が変化する中で、男性は現金収入を得て、また休日が増えることにより、余暇を楽しむためにバイクを購入した事例が増えたのではないか? その経験が、震災後、バイクに乗ることへの抵抗感を減らしたのではないか? というのは、あくまで推測なのですが。
③第2次産業の比率が高まったことにより、女性は80年代のYH戦争時代に原付免許を取得、工場への通勤は原付、そして行き帰りにその原付で買い物を済ますという生活文化が生まれた
前述したように、女性の多くが運転免許を取り始めたのは、間違いなく80年代のいわゆるYH戦争と呼ばれる女性の原付需要がきっかけでした。自らの“足”を手に入れた女性たちは、自由に移動することを原付で覚え、道路交通や免許取得に対する抵抗感をなくしていきました。
もともと、第1次産業の比率が高い東北地方では、女性の就業率は高かったと思われ(ソース提示しなくてすいません)、都市部における第3次産業の妻の専業主婦化の波とは異なった就業構造になっていったと考えられます。
働く女性が自分の“足”が必要になることで、運転免許取得率は高まり、その足がバイクからクルマに遷移しても、道路を運転することに対する生活文化は出来上がっていたわけですから、必要とあらばバイクを使うことも抵抗なく受け入れられたのではないかと思うのです。
もしこれが都市部ですと、3ナイ運動の成果か、はたまた暴走族に対する反感などから、バイクを利用すること自体に抵抗感がまだまだあるのではないかな、と。
【昔免許なので実はバイクに乗れるって人がたくさんいるんじゃないか?】
いわゆる「ムカシ免許」と呼ばれる運転免許。今よりずっと簡単な試験でオマケ的に四輪免許に二輪の免許がくっついてきたり、二輪免許というだけで全ての排気量のバイクを運転できたり……という“オイシイ”免許のことです。
その、「ムカシ免許の下限年齢」も、もちろん年々高齢化してはいるのですが、さて、いったい現在は何歳以上の人がムカシ免許の恩恵を受けたかもしれない世代なのでしょうか?
ちょっと調べてみました。
①もっともオイシイ昔免許
もっともオイシイ昔免許は、1965年(昭和40年)以前に四輪免許(今と呼称・区分が違ってますが)を取得した人は自動的に下位免許とされた自動二輪も運転することができました。
1964年(昭和39年)時に16歳の人は、1948年(昭和23年)生まれなので、2011年現在 63歳 ということになります。
第1次産業・第2次産業の比率が高い東北地方なら、また現在はサラリーマンの定年60歳を越えて65歳までは再雇用が推進されているそうですから、63歳でも現役バリバリの世代ですね。
ムカシ免許で四輪を取って更新し続けた63歳以上の人は、そのまま原付2種も大型二輪も運転可能なわけです。
②二輪免許におけるムカシ免許
次に、交通事故死者が激増した交通戦争の時代、暴走族問題が勃発したこともあって、二輪の運転免許試験制度が格段に難しくなったのが、1975年(昭和50年)以降で、いわゆる「限定解除制度」ができたのがこの年です。
そこで、1974年(昭和49年)時に16歳だった人の年齢を計算してみましょう。二輪の世界で一般的に「ムカシ免許」と呼ぶのは、こちらの「限定解除しなくてもナナハンに乗れた世代」のことです。
下限年齢は1958年(昭和33年)生まれで、2011年現在は53歳になっておられます。この世代、団塊世代よりは後、全共闘世代よりも後。新人類よりも前。第1次暴走族世代のはしりと言えばはしりぐらいかも。
53歳と言えば、「昔はオレもよぉ~」と、「昔はちょっと悪かった自慢」をしたくなる年齢でもあります。
バイクのイメージが格段に「ワル」「不良」「暴走族」「アウトロー」に転換させられたのも、彼らの世代とちょうどかぶる頃。
「昔はオレもよぉ~、バイク乗ってたしよぉ~」とか言いつつ、被災地のために、昔とった杵柄(?)ではありませんが、昔取ったムカシ免許にたまたま付いていた現在の大型二輪免許で、原付二種に乗る53歳以上があちこちいるんじゃないかと想像いたします。
* * * * *
だいぶ話が長くなっちゃいましたが、たまたま被災地の方々が二輪の利便性に気付いたのではなく、それを思い起こす歴史的な背景があったのではないか、そしてバイクを利用することへの抵抗感がないことのバックグラウンドは、以上述べてきたように、地勢や風土、産業構造、そしてもしかしたら昔免許などによる中高年の二輪免許の保有人口と、女性の免許保有人口が、案外、多いんじゃないか、ということも影響しているのではないかと思った次第。
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