わたしが中学生の頃は、暴走族全盛時代が過ぎ去り、若者のエネルギーの捌け口の矛先が学校に向けられ、「校内暴力」が跋扈するという「荒れた中学」時代だった。
自分が通っていた公立中学校は、学区の半分が大企業勤務者向けの住宅地、半分は商社や航空会社系の家族が住む団地や宅地だったので、安定した親の収入もあってか、先生方が市内の偏差値ランキングが高かったとかいう過去の栄光を自慢するような、そんな校風だった。
しかし、その母校にも「荒れた中学校」時代が訪れる。
象徴的だったのは、隣の中学の生徒が起こした、いわゆる「プー太郎狩り事件」。桜木町あたりで浮浪者(当時の表記による)を中学生が憂さ晴らしのためだけに襲撃し、死亡させたという事件だ。
その頃、どの中学校にも「不良グループ」が存在し、母校もまたご多分に漏れず、そのような生徒は各クラスに一人か二人ずつは存在していた。
反社会的行為を働くのが彼らの“仕事”だったから、9月1日の始業式後、横浜も酷い被害を受けた関東大震災の日に必ず行われる「避難訓練」は、「かったりー」行事の筆頭であった。
いつもの避難訓練は、こんな感じで行われていた。
「えー、さてー、このあと非常ベルが鳴りますからね、そしたらいったん机の下に潜って、先生が合図したら列を作ってすみやかに校庭に出ましょう。走ったり、ふざけたりしないこと。校庭に整列したら点呼を取ります。えー、ではー……」
先生すらもだるい感じで注意事項が告げられたあと、ジリジリジリと火災報知機が鳴り出す。
そのダルさと言ったら、真夏の太陽が照りつける校庭での整列で、一気に気持ちまでダレさせてしまう。
今考えれば、火事であれば誰かが火災報知機を鳴らすかもしれないが、地震ならば、非常ベルが勝手に鳴り出すなんてことはないんである。それだけ、思考停止なルーティーンの行事だったのだ。
だいたい、小学生の頃から高校生まで、「廊下は走るな!」とわれわれは教育されてきている。避難訓練のときでさえ、ふざけて走り出したりすると、「ちゃんと列を作れっ!」なんて怒られたりする。大いなる矛盾である。
そういえば小学生のころ、台風やなんかで暴風雨警報が出ると、まさに「ボウフウウ!」って感じのときに集団下校を強いられてびしょ濡れになったり、光化学スモッグ警報が発令されると、カンカン照りの中、意識が朦朧としながら下校を強いられたりしていた。一番ひどい天候のときは、学校に待機させればいいのに、と子どもながらに思ったものである。
そんなこんなだから、毎年1回か2回行われる避難訓練もまた、そんなのやったって何の意味があるの?と、わたしだけでなく、ほとんど全員の生徒が、いや、先生すらも思っていたのではないか。
しかし、そんな気持ちを吹っ飛ばした出来事が、ある年の避難訓練のときに起こった。
避難訓練のときはたいてい、消防署から消防士さんたちが派遣されてきて、お楽しみ(?)の脱出シューターは誰がチャレンジするのか、とか、放水デモンストレーションだとか、そんなことにしか興味が沸かず、荒れた中学校の生徒たちは、相変わらず、ダラダラと行動していた。
ところが、である。
何かいつもと違うな、と感じたのは、避難を促すそのアナウンスが、いつもの先生の声ではなく、派遣されてきた消防士さんとおぼしきものであったときだった。しかも、その声はたいへんに緊迫感のあるものだった。
さらに、緊迫感を煽ったのは、各階の階段脇あたりに消防士さんが立っていて、
「走れっ! ダラダラするなっ!」
と叫んでいるのである。いつものダラけた避難訓練とは何か様子が違う。
だけど、これはあくまで「訓練」。しかも今までだったら、学校の言う通り避難すると一番、風雨が強いときに家に帰されたり、一番、日差しが強くて空気が濁っているときに帰されたりしてきたんだから、本能的にこれはもう、意味のないものだってのがみんなの心に刻み込まれている。
たまに来た消防士さんに叫ばれたって、そんな急に心変わり出来るもんじゃないのである、荒れた中学生どもは。
グランドにようやく整列が終わった1200人の生徒たち。
壇上に上がる一人の消防士さん。
どうせまた、ありがたーいハナシをするんでしょう、さっさと帰りたいよね、始業式だしね、とざわつく生徒たち。眩しい夏空からは強い日差しが照りつけ、夏休み気分が抜けない生徒たちはいっこうに静まる気配がない。
壇上の消防士さんは、その様子を厳しい顔付きで見守っている。
5分。
10分。
ジリジリと日差しは容赦なく照り付け、じとーっと汗が頬を伝う。
15分ほども経ったころだったろうか。ようやく、様子がおかしいと思い始めた生徒たち。壇上に登ったのに、いっこうにしゃべりださない消防士さんに気付き、いったん騒めきが大きくなったあと、これ以上ないってくらいに静まり返った。
おもむろに、マイクに向かう消防士さん。
「オマエラーっっ!!!」
怒り狂った叫び声がスピーカーを通じて校舎と校舎にこだまする。
「ふざけんなーっ!!!」
1200人もの生徒全員が、一瞬で身が縮まった。
これまで体験してきた先生方の、どんな怒り方をも凌駕する、真剣なる一声。
そこから、その若い消防士さんの長い長い「説教」は始まった。
いかにして消防士になったのか。
どのような訓練を受けてきたのか。
どんなに訓練を受けても受けても、火事の凄惨な現場では役に立たないこともある。
火事の人的被害とはどんなに恐ろしいものか。
水場の事故とはどんなに恐ろしいものか。
交通事故とはどんなに儚いものか。
ときにはホラーにすら感じられる、生々しい実体験を交えつつ、消防士さんは1200人を相手に小一時間くらいは語っただろうか。
その間、1200人は一切、口を聞けないほどの大迫力。
そして最後に、消防士さんはこのようなことを言った。
「ぼくらは君らの命を守る義務がある。助けるべき人がふざけていては、助かる命も助からない。だから、まずは今日のような避難訓練をないがしろにせず、真剣に取り組んで欲しい。君らは君らで自分の命を守る努力をしてほしい。真剣に取り組むことで、命を守るとはどういうことか、わかるはずだ」
そして……。
「今日の君らの痛みを身体に刻み込ませるために、今から腕立て伏せを行うっ! 腕立て伏せ30回っ! オラっ! 早く準備しろっ!」
そう言って、ほかの消防士さんたちも全員、地面に伏せた。
「いーーちっ! にーーーぃっ!」
真夏の炎天下、何がなんだかわからないまま、消防士さんの迫力に押されて土のグランドに伏せる全校生徒1200人。
「じゅーーーぅっ! おら~っ! 休むな!」
結局、全校生徒1200人全員が腕立て伏せを完了、みんなの制服は土埃で真っ白に。汗にまみれた顔や手足には、ベッタリと土埃がまとわりつく。
今だったら、公務員によるこんな“体罰”は許されるものではないだろう。しかし、この体験は確実に、命と真剣に向き合うことを感じさせてくれた出来事であった。
* * * * *
閑話休題。
バイク乗りも、ふざけてるんじゃないかって思うくらい、ラフに乗る人を見かける。
若ければ若いほどその割合は多い。
そういう人こそ、事故に遭いやすいはずなのだけど、幸か不幸か、運良く、いい年した大人になっても、痛い目に遭わない人というのは一定数、存在する。そして、若い頃と同じようにラフな運転をし続ける。
そんな人と話してみるとたいてい、自分が事故に遭ったことがないだけでなく、大事故・重大事故の目撃経験がない場合が多いように感じる。
人間、経験がないことは、これからも起こらない、と勘違いするように出来ている。
自分の場合、幸か不幸か、バイクに乗り始めてすぐ、死亡事故の一部始終を目撃するという経験をした。それによって、バイクとは命懸けの乗り物なのだと早期に自覚するようになった。
もちろん、そのような経験はないに越したことはない。
ならば。
少しでもリスクを回避するための方法とは、想像力を養うこと、そして普段からの「訓練」に尽きるのではないか。
3.11大震災からようやく少しの時が経ち、中学生時代の避難訓練を思い出してこんなことを書いてみました。