「多摩テックが閉鎖することに──」
というニュースに接して、そう言えば、多摩テック、行ったことがあるような気もするし、なかったような気もするけど、やっぱり確かに行ったことがあるような気がしてきたなあ、とかすかな記憶をたぐり寄せる。
もっとも古い遊園地的記憶は、万博に0系新幹線で行ったことで、次が、小学校のときの林間学校で相模湖ピクニックランドに行った記憶。
○○博というのは当時、盛んに行なわれていたんだけど、そう言えば、同級生が沖縄博に行ってきたということで、クラス全員(45人くらいいた)にキーホルダーかなんかのお土産を配っていたのは強烈な記憶だ。
クラス全員に沖縄土産を配っていたのがS君だったかどうかは忘れたけど、同級生にお父さんが自動車整備工場を経営していて、ついでにクルマの「レーサー」で、アメリカを走ったことがある(!)というS君がいた。
S君のご実家の自動車整備工場は、当時、わたしの実家から一番近いスーパーに行くためのバスに乗ると必ず通りがかる場所にあって、すげー、これが「レーサーの父上を持つS君ちだー」とか思いながら車窓から眺め、次の車窓ポイントは山崎パンの工場だったのだけど、あのパンの焼けたいい匂いを嗅ぐために、小学生でも簡単に開けられるスライド窓のある後部扉のすぐ後ろの座席を確保して、山崎パンの工場前を通過する直前に窓を開けて、パンの匂いを嗅いで幸せな気分にひたるのがたまの楽しみであった。
そんな地元にはブリヂストンの工場があったり、ポーラ化粧品の工場があったり、コカ・コーラボトリングの工場があったのだけど、社会科見学で断然人気があったのは、コーラの工場と、日産の追浜工場だった。コカ・コーラの工場は言うまでもなく、見学後にコーラが飲めたからであり、日産追浜工場は当時大ブームのスーパーカーと絡んで、かのフェラーリではなくフェアレディZの下敷きがもらえるからであった。日産の工場が割と近いからか、地元の国道一号線は日産率が異常に高かったと記憶している。
そんな時代だったので、お父さんが自動車整備工場の経営者、かつ、クルマのレースのレーサーだというS君は絶大なる人気を保っていたのである。
「アメリカじゃー、寝てても運転できるらしいよー、とにかく道がまっすぐなんだって」
というS君の情報に、本当にアメリカの道路事情は30分くらい寝てても大丈夫だと大人になるまで信じていた。で、大人になって9.11後のデイトナバイクウィークのとき、NYからデイトナまで走って行ったことがあるのだけど、「30分寝てても運転大丈夫」伝説は、オートクルーズさえあれば大丈夫な気がしてくるくらい、アメリカって広大で退屈な景色が続く国なんだなあと実感したものだった。
中学校のときに多摩テックに行ったかどうかは思い出せない。今はなき「HOW! 日本ランド」という遊園地に行ったことがある。夜、恒例の肝試しをやるのだが、その怖がらせの口上が「暗闇に老婆が立っている」というものだった。遊園地だし墓場でもなしに、老婆なんかいないだろーとタカをくくった中学生たち。やがて絶叫とともに全力疾走で出発地点まで逃げ帰って来たのだが、日本ランドには確かに夜中に老婆が立っていた。それは、暗闇にポツンと立っていた警備員さん用の小さなプレハブの小屋で、だったが。警備をしていた女性の方、あのときは絶叫しながら逃げ出したりしてごめんなさい。
えっと、それで多摩テックの想い出。
高校生のとき、遠足は生徒会行事だった。自分が入学するまでは球技大会かなんかやっていたらしいのだが、別に生徒会行事は球技大会でなくてもいいので、全校投票で遠足をすることに決まった。おお、そうだ、その1年目が確か、多摩テックだった。ゴーカートとは名ばかりのスピードの出ない乗り物ばかりだったなあ、という印象しか覚えていない。2年目は富士急ハイランド、3年目は東京ディズニーランド。かくして、遠足ロンダリングは3年かけて完成したのである。いや別にロンダリングでもなんでもないんだけど、自分らの学年はたまたま、
多摩テック<富士急ハイランド<東京ディズニーランド
みたいなヒエラルキーに学年が上がるにつれ乗っかることができた、というワケで。
何しろ全校生徒30クラス(または28クラス)が一気に遠足に行くものだから、チャーターバスの折衝に来た高校生にバス会社の皆さんは驚いたらしい。一気に30台出せるバス会社は少なく、東京方面のバス会社をチャーターしてた記憶がある。ついでに、先頭から最後尾まで2時間くらいの時差があった、なんてことも思い出すなあ。
豊島園じゃなくてなんで多摩テックだったのかは覚えていないのだけど、横浜の小高い丘にある母校からやたら遠かったような記憶がある。2時間以上はかかったんではないか。東京都日野市だけど、どんだけ山ん中なんだ、多摩テック。みたいな。(←というか、横浜南部から三多摩方面には道路のアクセスがあんまりよくないんですよ、今でも)
それで、乗り物に乗った記憶はほとんどなくて、昼食の大バーベキュー大会だけが楽しかったようなうろ覚えの記憶。
2年目の富士急ハイランドは言うまでもなく絶叫マシンの記憶、3年目の東京ディズニーランドはまだ出来たばっかりという感じで、行ってきました、だけで自慢できるようなそんな昭和な時代。
バイクに乗るようになって、多摩テックは安全運転講習会とかスクールをやってる場所、というイメージがあった。自分は尾久のホンダ東日本販売の駐車場のスクールとか、神田とか三田署の講習会だとかばかり参加していたので、とうとう多摩テックの講習会は行くことはなかった。
ホンダのモンキーの原型が多摩テックにある、とか、温泉掘ってるらしい→温泉沸いた→鈴鹿みたく温泉も始めました、というニュースもその都度小耳にはさんで、そのたびにいつも「いつか行ってみよう」と思うのだが、やっぱり行ったことはなくてすいません、割引券もたくさんいただいたりしているのに(←鈴鹿SMSCのライセンスホルダーだったので)。今、割引券収納ホルダーみたら、入園招待券が発掘されました。今でも使えるのかしらん。
新聞のニュースの見出しに、
「ゆるい遊園地」
と書かれていた。
多摩テック周辺は遊園地激戦区(?)なんだけど、近隣の遊園地もまた、読売ランド、サンリオピューロランド、東京サマーランドだったりして、全部割とゆる系。
あと、安全運転系では多摩テックの割と近くに日産がかつて、安全運転体験施設を設けたけどカルロス・ゴーン体制であっけなく施設ごとリストラ、ということもあった。
さっき多摩テックのサイトを見たら、安全運転系の営業はすでにしていなくて、トライアル・パークだけがあるのみ。
“走る場所がない”なんて話はもう今や昔なのか。
なんだか、温泉がもったいないなあ、とか、トライアルにしろ、広い駐車場にしろ講習会とかジムカーナに活用できそうだなあ、なんて思いもあるけど、未曽有の経済危機の前にそうも言ってられないのだろう。
そうそう、父上がレーサーのS君、ちょっと気になって調べてみたら、立派に二代目さんとして家業を継いでおられました。こうしてモビリティ文化は世代間継承されてゆくのだなあ、きっと多摩テックも幼少の記憶が次世代のユーザーを育てていったのではないかなあと、多摩テック閉鎖のニュースに接して感慨を深くした次第。