アキバの件で思うことつらつらと
事件、事故、震災の違いはあれど、テレビの影像や新聞の写真、記事を見るたびに、やはりフラッシュバック気味。
でも書いておく。
応急救護やAEDについて
現場に居合わせた人からのワンクッション置いた情報によれば。
あるいは新聞、テレビ等の報道も含めると。
応急救護、人工呼吸、心臓マッサージなど手当を行った市民が多数いたとか。
また、除細動機(AED)を持ってきてーとか、足りないから隣の店舗から持ってきてーとか、そういう言葉が飛び交っていたらしい。心停止にはAEDが有効なこと、AEDは誰でも使えることが知られていること、そしてAEDが街に配備されているのが知られるようになったことは、悲惨な事件のなかで一筋の光はあった。
ひとつは、阪神淡路大震災などの社会の経験が、応急救護への意識を高めただろうし、もうひとつは、運転免許教習において応急救護の科目が加わったことは大きいのではないか。今の20代から30代前半の運転免許保有者ならみな、受けているはずだ。
歩行者天国廃止論について
アキバの歩行者天国についてはいろいろと問題は抱えていたけど、過激露出パフォーマンスの問題と、犯人の社会に対する怨恨のターゲットとしてのアキバとは、まったく関連がないとは言えないものの、規制してどうにかなるものではない。
池袋の東急ハンズ前でもこのような事件は起きるし、仙台のアーケードでもこのような事件は起きる。ただ、犯人が憎んでいた「リア充」が集まる記号としてのアキバ、という解釈でターゲットになってしまったのは否めない。次に(起きてはならないが)生まれるかもしれない犯人の記号的解釈はシブヤかもしれないし、裏原かもしれないし、リタイヤ世代の集まる巣鴨になるかもしれない。
だからと言って、全国の歩行者天国禁止とかいう話でもないと思う。なら人が集まる商店街禁止か?
欧米では、みたいなつまんない話をすると、たとえばオランダとかドイツとかだと、「広場」を中心とした歩行者エリアが存在して、そこにクルマやバイク、(国や場所によっては自転車まで)車両は入り込めない街の構造になっている。一時的な歩行者天国はクルマが侵入できる可能性があるから今回の事件が起こせた、と無理やり言えば言えなくもないけれど。
かつて、バイクブーム時代に、全国各地の峠の名所が有名になり、人が集まり、ギャラリーコーナーが出来、事故が起きて、結局、通行止めになったけれど、ブームが去るまでは場所を変えてライダーは集まり、走り、事故を起こした。それだけではない。バイクブームの時代、サーキットにもたくさんのライダーがが集まり、走り、そして事故があった。地域とか地名の問題ではなかったが、空間とか場はそのような空気を生み出していた。
じゃあ啓蒙だけでこのような犯罪は減るんだろうか、というとそうは思わない。でも啓蒙は常に必要だとは思う。性善論。
それだけじゃ足りない。加害者の生い立ちはもちろんだけど、社会的なバックグラウンドをきちんと分析する必要があると思う。すでにネット上では語られているけど、自動車産業と下請け、請負派遣の構造等々、社会の中の彼の立ち位置というのは分析されるべきことだ。
大垂水を走っていたライダーたちは、当時、社会的にどのようなポジションにいたのだろう?
ナイフ規制論について
もちろん、ダガーナイフとやらが武器としての意味しかないのであれば、それは規制すればいいのだけれど。
ちょっと待てよと思ったのは、2トントラック規制とか、トラック規制、自動車規制みたいな話が出て来ないのはなんだか奇妙だなあとは思った。今回の事件は直接的な武器として自動車が使われたのに。トラック協会は業界的に圧力団体として刃物業界より政治に強いのかもしれない。
だからと言って、自動車や車両を規制すべきとはわたしは思わないけども。
普通免許で2トントラック規制はしてもいいかなとは思う。去年から普通免許で通称4トントラックは運転できなくなって、中型免許が創設されたけども、わたしはこれでも規制不足なんじゃないか?と思っている。
普通免許は教習所で運転する1500cc以下のセダンタイプのみを初心者運転免許期間で許可するとして、1年以上経ったらようやく1500cc以上可、ワンボックス可、3列シート可にすべきなんじゃないか。今回の事件とは話がまったくそれているが。
道具を規制する線引きというのはとても難しいのだけど、問題は道具を扱う人間側の問題であって、道具そのものではないとわたしは思う。
バイク危ない、だからバイク禁止とかいうのでなく。ナイフが危ないからエンピツを削らせないのではなく。
どうしたらその道具を安全に使うことができるのか、まずは議論が必要だと思う。
で、話はやや飛躍するけど、銃に関してはその議論が尽くされた結果、日本では禁止されていると思っているので、わたしは銃規制は賛成であります。
手当をした医師のことば
たまたま居合わせた医師が手当にあたり、その後、新聞やテレビの取材を受けていた。その言葉からは、2006年に目撃した事故後のわたしの感覚とまったく同じであったのでびっくりした。
「もっと助けられたのでは……」「やったことが正しかったのか、ずっと悩み続ける」
「あの場でやれる限りのことはやった。ただし100%できたかどうか……」
(毎日新聞 2008年6月11日付け記事より引用)
「果たして最善を尽くせたか、こうしていればあの人は助かったのではないか。いろんな思いが頭を巡った。死ぬまで自問自答するだろう」(徳島新聞web 2008/06/11 11:21付け記事より引用)
「もっといい処置ができなかったか、後悔もある」(読売新聞 2008年6月11日02時13分付け記事より引用)
2006年、目の前で事故の一部始終を目撃した。
わたしはカメラマンとして現場に立ち、カメラを持ってはいたが、日没近くで暗かったため、構えてはいなかった。
事故が発生し、応急救護の講習も受けていたので、とっさに助けようと思って駆け寄ろうとしたが、マーシャルに制止された。マーシャルは二次災害を防止しなければならないからだった。わたし救助に当たらない代わりに、近くにいた子供たちのケアに当たった。
自分がメディアとしてそこに立っていても、救助に当たるべきだったのか、マーシャルの言うことを聞いて動かないでいるべきだったのか。今でもわからない。マーシャルのマニュアル的には動いてはいけない状況ではあったのだけど。
誰の目にも彼が助からないのは明らかで、数分経過したのち、ドクターから状況が告げられた。
事故の発生から事故現場、そしてボディがそこに横たわっている状況をわたしは撮影することができなかった。でも、メディアの人間として撮影しなかったことが果たして正しかったのかどうか。
実際には、ボディが運ばれていったあと、警察官に頼まれて実況写真をボランティアで撮影して提出することになるのだけど、それは辛い作業であった。
過去、人の生死に関わる交通事故の現場に何度も立ち会ったことがあるのだけど──そのたびに、亡くなったことを知れば「もう少し何とかできたのではないか」と自問自答し、消息がわからないと「あの方は助かったのだろうか」という思いを捨てられないでいる。
果たしてあのときのわたしは正しかったのか? と、誰かに答えを言って欲しい。だけど、きっと「君は正しかった」と言われたとしても、一生、「わたしは正しかったのか?」という自問自答は終わることはないのだろう。
事故や事件や災害の救助にあたるとはそういうことで、じゃあ事後辛い思いを抱えられなさそうだから現場には関わらないとしても、それはそれで関わらなかったことで悩むこともあるかもしれない。
で、何が言いたいかというと、一般に、そういう辛い思いはだいたい1週間から2週間で軽減するものだけど、それが1カ月以上、長い人は半年から数年も続くことがあるので、そうならないためには、周囲の人が淡々と当事者ないし関係者の話を ただただ聞くということが有効だということを知っていて欲しい、ということを書きたかったんだ、たぶん。
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