ガソリン価格明日から値上げ?
「7月1日から10円くらい上がりますんで、また明日もよろしく~」
と鈴鹿界隈のガソリンスタンドのお姉さんに言われました。
今どき珍しい家族経営のガソリンスタンド(セルフではない)でしたが、価格は良心的でした。
道路側の給油機前には、通りがかりにお客さん入ってる感を演出する「見せクルマ」(またはサクラカー)が置いてあったりして、涙ぐましい努力を感じました。
がんばれよーと思いました。
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「7月1日から10円くらい上がりますんで、また明日もよろしく~」
と鈴鹿界隈のガソリンスタンドのお姉さんに言われました。
今どき珍しい家族経営のガソリンスタンド(セルフではない)でしたが、価格は良心的でした。
道路側の給油機前には、通りがかりにお客さん入ってる感を演出する「見せクルマ」(またはサクラカー)が置いてあったりして、涙ぐましい努力を感じました。
がんばれよーと思いました。
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鉄道の趣味の世界は細分化が進んでいて、
鉄道趣味
↓
鉄道ファン
↓
鉄道マニア
↓
鉄道オタク
↓
(単に)鉄(テツ)
みたいな呼び名に変容しているらしい。
「鉄(テツ)」の中でも細分化が進み、たとえば
・乗り鉄……全線乗覇とか、全駅踏覇とか乗って楽しむ派
・撮り鉄……鉄道の写真を撮ることが趣味のひと。駅で撮るだけでなく、風景として撮る人らはクルマで撮影ポイントに出かけるらしい。
・録り鉄……鉄道や駅内・車内アナウンスなどの音を録音して違いを楽しむ人たち。
・鉄子……従来、男子・男性の趣味と思われた分野に女性が進出中。
のような細分類があるらしい。
中でもびっくりしたのは、「食べ鉄」という分類。朝日新聞のコラムだったか、食べ鉄の人の連載があるのだけど、何かを食べにいくのにどんなルートでどんな鉄道に乗って行ったか、にこだわりを見せる派、らしい。
いわゆる「駅ナカ」の店でなければ(いや駅ナカだって入場券で入ることは可能だ)別に鉄道で行かなくてもいい気がするのだけど、いかにして鉄道に乗っていくか、のこだわりを趣味として完成させたところに意義があるのだろう。
なるほど「鉄」の世界もなかなか奥が深いものだが、よく考えてみると、これらの○○鉄という世界は、そのまま実はオートバイ趣味の世界にだって従来からある分野ではあった。
・バイクに乗って楽しむ(ツーリングやスポーツ走行、モータースポーツなど)
・バイクの写真を撮ったり(特にモータースポーツ分野)やバイクのイラストを描いて楽しむ
・バイクを楽しむ女性ライダー
・バイクで美味しいものを食べに行くツーリング
などなど。これらは何十年も前から普通に存在していたバイクの楽しみ方であった。
しかし、○○鉄と決定的に違うのは、それら一つ一つのコダワリを極めて、○○鉄的ジャーナリストの出現、とか、○○鉄向け雑誌の出現、みたいなことにはなっていないことだ。
録り鉄的なバイクの楽しみ方ってもっともありそうでなかったものだけど、(例:80年代各V4の音の違い、とか、歴代TZR250の排気音、とか、直4マフラー対決/ヨシムラvsモリワキvsなんたら、とかとか(あ、雑誌のおまけCDとかソノラマ(笑)とかにはあったかも)とかとか)、趣味のジャンルとして確立されているわけではない。
鉄道趣味の細分化に貢献したのは、「○○鉄」というネーミングではないかな。短縮表現がうまい日本語ならではの発展形だと思う。
ならば、オートバイ趣味の人を指す一文字単語を考えればよいのだっ。
……。
むー。
オートバイを指す言葉はたくさんあって、「オートバイ」「二輪車」「単車」「バイク」などなど、単なる単語だけでもどれが一般化された言葉なのかとはにわかに確定しずらい。
「輪」かな。
「単」かな。
・乗り輪(ノリリン)。
なんか、かわいい響きなので、一気に好感度UPを目指せるかも?
・撮り単(トリタン)。
単語を勉強する中高生みたいな。
・食べバイ。
ヘタな九州弁みたいな。
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わたしがバイクに乗り始めたころ、もっとも抵抗があったのが、ツーリング先でちょっとした休憩のとき、ライダーたちが抵抗なく地べたに座ることであった。
そういうことをしちゃいけませんと躾けられた世代なので、とっても心理的に抵抗があったのだが、いざ殻を破ってみると、なんとういか解放感的な感覚が味わえたことが驚きだった。ささやかなる社会への抵抗というか。
でもね、最近できた近所の地下鉄駅前にたむろしている子たちは地べたに座るどころかみんなあぐらかいてるのはちょっと、と思う。
鉄道車内で地べたに座る高校生は地方だけの話かと思ってたら、最近、横浜市営地下鉄内でも見かけたので本当に驚いてしまった。
(佐藤郁哉, 1984『暴走族のエスノグラフィー―モードの叛乱と文化の呪縛』P241 図7 暴走族のポーズ、いわゆる「うんこすわり」あるいは「ヤンキーすわり」)
社会学者の佐藤郁哉氏が著した著書の中に、上のような「ヤンキーすわり」のイラストがあって、そういえば、かつてはよく街角で見かけたけど、最近見ないなあと思い出した。
ヤンキー座りの最終目的は、“オオヤケ”の空間であるところの道路は誰が何をしているかわからないので、そこに服のお尻を絶対に付けないという最後の手段だったのではないか。
「不良」「ツッパリ」という言葉がまだ生きていたころ、オオヤケ空間の道路には、タバコの吸殻、ガム、ゴミ、たん、つば、う○○、などなどいろんなものが落ちてたような気がする。そんなところに座って服を汚したくないという、最後の抵抗がヤンキーすわり?
不良、ツッパリが絶滅し、カラーギャング、チーマーも死語となったいま、道路や電車・列車内は半径2mくらいは“ワタクシ”空間となり、わりと何をしても許されるようになったみたい。
日本語の若者ことばの英訳語彙集というサイトによれば、ジベタリアンという言葉は「1995年頃に出現し、主に(年配の)評論家が現代の若者を批判するときに使われる」とあるが、たしかに今から軽く10年以上前の言葉だったように記憶している。
あの頃は、街角でただ地べたに座る若者を指す言葉だったと思うけど、今や、座るどころか自分の部屋のようにあぐらをかいて、周りに化粧品やお菓子やジュースを置いて“自分空間”を作っているのを日常茶飯事のように見かけるようになった。
だからなにというオチはないど、いわゆる「うんこすわり」「ヤンキーすわり」は、暴走族様式(モード)を表すアイコンでしかなくなったのかもしれない。
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3週間、マン島に行ってて日本を留守にしていたのですが、帰ってきて一番びっくりしたのが、
自転車が車道を走っている!
でした。
しかも、国道246(にーよんろく)なのに、とか。
246は青山通り~玉川通りと続く首都高3号渋谷線沿い、東名沿いあたりを走る、東京~静岡を結ぶ大動脈で、横浜~東京間は2~3車線のバイパス路。とくに3車線区間は路上駐車が多いのと、中途半端な右折レーン(半車線分しかないのに右折矢印信号のある右折専用レーンなので、後続車からの追突などを心配。ならびに、こんな中途半端なところで停止線で停まらなきゃいけないはずがないだろう、と考えるかどうか知らないけど、右折矢印信号を守らないドライバーも数多い)、バス優先道路などなど複雑で、しかし歩道は完備、しかも歩道はほぼ自転車通行可なので自転車が車道を走る姿は一部スポーティなサイクリストや自転車便ライダー以外はあまり見かけなかった。
それが。
たった3週間でニッポンの社会情勢が変わってしまった、と感じるほどに、車道に自転車が多い。
またしても欧米ではとかいうつまらない話を持ち出すと、ヨーロッパでは自転車は車両として認知されているので、たとえばオランダとかイギリスとかドイツでは、3車線ある道路の右折レーンに自転車が寄っていって自動車やバイクと一緒に右折することは合法だし、至極当たり前な風景である。
日本で右折レーンから自転車が右折するのは合法なんだったっけ? でも原付は車線数や標識により二段階右折が義務付けられている。
一方、中国の上海では自転車や小型バイクは車道の王様と化していて、信号が変わっても流れが途切れない限り、その流れは信号無視したまま継続する、というのが現在の地元ルールのようだった。
それはともかく、日本で車道を走る自転車が増えたのは、これはもしかして勝間和代氏効果? とか思ってしまった。勝間氏の「効率が10倍アップする新・知的生産術―自分をグーグル化する方法」という書籍の帯にはこんな写真がある。
スーツのすそをすそ留めのゴムで留めたり、情熱大陸で放送されたスーツの上にサイクリングウエアを来て自転車で都内を移動する姿はなかなかインパクトがある。
勝間氏いわく自転車通勤は、時間を節約でき、かつ身体を鍛えることができるという。メタボリックシンドロームが社会問題化されようとしている今、なかなかタイムリーな布教である。
いやいや、ガソリン高騰こそが車道自転車増加の原因かも?
地球温暖化だし、自転車はエコだし?
いやいや、都内を管轄する警視庁は自転車取り締まりや摘発にかなり力を入れていたから、道路交通法改正にあたって、わたしが日本にいない間に街頭指導を強化した成果なんじゃないか?
とにもかくにも、雑誌業界でも異変は起きているらしく、MTBブーム後初の、第二次自転車雑誌部数増加が起きているらしい。
バイク業界でも、以前にもてぎの耐久で女子チームで参戦したときのメンバーCちゃんも、四輪レースを経ていまはどっぷり自転車にハマっているらしい。(「見果てぬ夢を追いかけて 」)
前回のMTBブームはバブル崩壊後の90年代、バブル的なものよりはお安く、しかしお金をかけられるハイソな趣味みたいな感じだったように記憶している。
今回の自転車ブームの兆しはMTBブームとは違って、「ガソリン高騰」「自転車も車両です、ゆえに車道を走れな道交法改正」「気軽なメタボ対策」というトライアンギュレーションな社会構造に根ざしているので、ブームに終わらずそれなりに定着するのではないか。
しかしながら次に待っているのは、違法駐輪が溢れる自転車公害と、自転車による交通事故の問題だろう。
今回の自転車関連の話は、社会構造の変容(というほどのことでもないかもしれないけど)が乗り物をどう利用するかに大きく影響することがわかった。
オートバイの場合はどうだろうか?
そろそろダイナミックに変革(とくに道交法)してもいい時期に来ているのではないかな。
たとえば排気量区分とか免許区分とか。それについてはまたいずれ。
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※今気付いたのだけど、タイトルが「969」になってた……。696です、失礼しました。
このところ、海外メーカーの新車発表会は、いかに日本のオシャレでイケてるスポットで行うか、合戦になってる感がある。
先日行われたドゥカティの新型モンスター696の発表会も例によって六本木のど真ん中のオシャレでイケてるスポットで開催された。
入場するとすでに人でいっぱい。数百人はいたんじゃないだろうか。写真は、あまりに人がいっぱいで何を発表しているのか見えてない、の図。
人垣を泳いで配られるシャンパンにワインのグラス。わたしは例によってバイクで行ったんだけど(もちろんお酒は飲まない)、周りを見回すと嵐が来ていたこともあってか、スーツ姿、ドレス姿の皆さんばかり。あと、イタリア人のみなさんとおぼしき外国人の姿も目立った。
それはともかく新型モンスター696はようやく日本に上陸かという感じ。というのも、モンスターの600クラスは長年、ヨーロッパでナンバーワンの販売を誇るロングセラー、ベストセラーであった。売れる、ということは、きっといいバイクに決まっている。いや、多分いいバイク。おそらくいいバイク。いやいや、絶対にいいバイクのはず。なのに、
日本市場では本腰を入れて販売されることはなかった。
理由として、
・ドゥカティは日本で高級グレードが人気
・普通二輪/大型二輪の免許区分400ccという壁
が挙げられる。
なので、ドゥカティは過去、モンスター600を排気量ダウンして日本向けの400を出していたくらいだ。
今回の発表会で気になったのは、
「日本のマーケットは、700cc以下のマーケットと800cc以上のマーケットしかない」
というドゥカジャパン社長の言葉。見事に750ccという排気量は無視されておられるけど、言われてみれば確かに最近の日本のバイク市場はそんな感じになっている。750ccが利用されているのはもはや教習所と運転免許試験場だけのような。白バイでさえ、800とか1200とかになっている。
で、400cc以上700cc以下のモデルはというと、大型スクーターやテイスティ・モーターサイクル(という言葉が今まであったかどうかわからないけど、たとえばSR500とかW650とか)系がこの10年でじわじわ増えてきたし、600㏄クラスのスポーツモデルも、大型二輪車免許は持っていても1000ccまではいらない、という層は確実に増えてきたと思う。
そして、現在の中型排気量のラインナップにスポーツモデルは実はほとんどない、という実情もある。強いて言えば、スズキGSR400くらいか。
そうした日本マーケット独特の状況をじっくり見据えた上での、今回のドゥカティの決断だったと思う。
モンスター600クラスは2003年、04年あたりでツーリングをしたことがあるのだけど、本当にいいモデルだとわたしは思った。確かにこりゃ売れるよな、と思った。なんというか、気軽な足代わりなのだけど、ドゥカが言うところの「パッション」的な何かを感じられるのだ。
厳しい排ガス規制、音量規制ののち、規制の俎上に乗らないのはもしかして本人だけに感じることができるバイブレーションだけかもしれない。
閑話休題。
ドゥカティのニューモンスター696の発表会では、各種企業とのコラボレーションも話題であった。
たとえば、アルファロメオとのコラボは、Alfa 147 Ducati Corseというモデルが発表されたし、ドゥカもアルファロメオのヘビ柄のモデルを用意した。
あるいはプーマ。
プーマのシューズと同じ技術やデザインを駆使して作られたデモ車が展示された。
ほかにもサンディスクなどとの企業とのコラボが発表された。
立ち話をしていて、出版プロデュース業のミカミさんとかオグオグさんとかが奇しくも同じような内容の話をされていたのだけど、「もうバイクってライフスタイルに切り込んでいかないと」というような話をされていた。
確かに、バイク業界は過去、生活必需品・社会の必要性から発展して、80年代にはバイクブームを経て“趣味の乗り物”として一部マニアのものだけに淘汰されてしまった感がある。
ライフスタイルに切り込むというのは、そこからもう一歩進むということだと思う。
ドゥカティで言えば、生活にパッションを、だし、BMWなら駆け抜ける喜びは、四輪でも二輪でも、ということだろう。
ハーレーならゆりかごから墓場まで巻き込む作戦で世界を席巻している。
ホンダで言えば? ヤマハで言えば? スズキは? カワサキは?
危機感を覚えると同時に、外国企業が本気で日本市場に斬り込んで来たことが刺激になっていけばよいな、とも思う。
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以前2004年にも千原兄弟事故の真相としてテレビでやってた情報についてブログを書いたのだけど、先日また日テレの「ザ・世界仰天ニュース」という鶴瓶氏とSMAP中居氏の番組で、
顔面再生スペシャル千原ジュニア 生と死のストーリー
という特集をやっていて、たまたま見ることができた。兄弟でお笑いをやっている千原兄弟の弟、千原ジュニアがオートバイで事故に遭って、九死に一生を得たという話の真相を生々しく再現影像とともに本人が語った番組だ。
番組サイトにもあるけど、いくつかの事故の真相がわかる内容であった。それによれば、
・春の日差しが気持ちいいので、ジュニアはヘルメットを半キャップ型に変えた。・顔面が直接石柱に激突した為鼻を骨折、あごは真っ二つに割れていた。左頬も骨折、そして前頭骨の骨折、おでこの神経も切れていた。さらには眼球の受け皿である眼窩低と内壁を骨折したことで眼球が下に下がっていた。
・そして医師はある事実をジュニアに伝えた。「ヘルメットが半キャップでよかった。 もしフルフェイスのヘルメットだったら、顔にキズ付はなかったでしょう。でも、衝撃が全て首にかかって即死していたでしょう」
え、え゛~~~っ!??
ちょっと待てよ、最後に引用した「ヘルメットが半キャップでよかった」という医師の言葉。「千原ジュニアの事故の場合」とか「あなたの事故の形態の場合、結果的には」というエキスキューズがそこにはあったのだろうか。
なかったとすれば大問題だし、番組中も同じ表現が使われていたけど(番組宣伝サイトにある文章は番組で使われた台本そのままと思われる)視聴者の誤解を招く表現ではないだろうか。
医師がそう言っていた、千原ジュニアはたまたま助かった、だからといって、フルフェイスより法律的にはNGの半キャップ型ヘルメットが安全なわけではない、ということは念のため申し上げておく。
「千原ジュニアの場合」は、たまたま半キャップをかぶっていたことによって顔面が衝撃を吸収したかもしれない。けれども、それだって生死の確率は五分五分だったはずで、数日の意識不明期間を経て奇跡的に彼は命が助かったに過ぎない。
確率論で言えば、フルフェイスの方が半キャップよりも命を守れる確率は高い。
とは言え、日本では原付なら半キャップ型をかぶることは認められているし、アメリカなら州や条件によってノーヘルすら認められていて、どんなヘルメットをかぶるとか、そもそもヘルメットをかぶるとかかぶらないは自己責任の範疇なのかもしれないけど、それでも、半キャップ型よりはジェット型、ジェット型よりはフルフェイス型のほうがより頭部や顔面を守れる確率が高いということを知識として知っておいてもいいんじゃないかと思う今日この頃である。
●おまけ●
そういえば、静岡の大学病院で整形外科医をしていたという医師はよくわたしに、「フルフェイスは(重いから)首に負担がかかる」「フルフェイスは釘抜きになって(衝突したとき鞭打ち状態をひどくする)重大な後遺症が残りやすい」とよく言っていた。それはそれで事実なのだろう。
思うに、整形外科医は救命救急の現場で治療にあたる外科医よりも、事後の怪我の治癒や後遺症に対しての治療にあたることが多いので、感覚が違うのだろうか。命が助かるか否か、という比較で言えば、半キャップ<ジェット<フルフェイスではないのかな。半キャップとかでの事故で助かった場合、整形外科にまわるのでなく、形成外科に回るのだろうか。
などと書いているうちに、そういえばその昔、口腔外科に入院していたとき(事故とか怪我ではない)、男子病棟にはケンカまたは交通事故で顔面骨折してトラスフレームになっている入院患者が多かったことを思い出すのですが。
●おまけその2●
あ、それで、千原ジュニアさんが激突したという石柱は、いわゆる車止め的な感じの低い高さの石柱で、街の景観を良くするためのデザインなんだろうなあというものだったけど、歩行者をクルマから守るためや、違法駐車させないために作られた道路構造物なのに、万が一の事故が起こったときライダーや自転車運転者らにとっては凶器にもなるのだなあ、だからと言って、歩行者にもクルマにもライダーにも自転車運転者にもみんなに安全をもたらす道路構造物ってどういうふうにすればいいのだ?と難しい問題にもぶちあたってしまう今日この頃です。
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事件、事故、震災の違いはあれど、テレビの影像や新聞の写真、記事を見るたびに、やはりフラッシュバック気味。
でも書いておく。
応急救護やAEDについて
現場に居合わせた人からのワンクッション置いた情報によれば。
あるいは新聞、テレビ等の報道も含めると。
応急救護、人工呼吸、心臓マッサージなど手当を行った市民が多数いたとか。
また、除細動機(AED)を持ってきてーとか、足りないから隣の店舗から持ってきてーとか、そういう言葉が飛び交っていたらしい。心停止にはAEDが有効なこと、AEDは誰でも使えることが知られていること、そしてAEDが街に配備されているのが知られるようになったことは、悲惨な事件のなかで一筋の光はあった。
ひとつは、阪神淡路大震災などの社会の経験が、応急救護への意識を高めただろうし、もうひとつは、運転免許教習において応急救護の科目が加わったことは大きいのではないか。今の20代から30代前半の運転免許保有者ならみな、受けているはずだ。
歩行者天国廃止論について
アキバの歩行者天国についてはいろいろと問題は抱えていたけど、過激露出パフォーマンスの問題と、犯人の社会に対する怨恨のターゲットとしてのアキバとは、まったく関連がないとは言えないものの、規制してどうにかなるものではない。
池袋の東急ハンズ前でもこのような事件は起きるし、仙台のアーケードでもこのような事件は起きる。ただ、犯人が憎んでいた「リア充」が集まる記号としてのアキバ、という解釈でターゲットになってしまったのは否めない。次に(起きてはならないが)生まれるかもしれない犯人の記号的解釈はシブヤかもしれないし、裏原かもしれないし、リタイヤ世代の集まる巣鴨になるかもしれない。
だからと言って、全国の歩行者天国禁止とかいう話でもないと思う。なら人が集まる商店街禁止か?
欧米では、みたいなつまんない話をすると、たとえばオランダとかドイツとかだと、「広場」を中心とした歩行者エリアが存在して、そこにクルマやバイク、(国や場所によっては自転車まで)車両は入り込めない街の構造になっている。一時的な歩行者天国はクルマが侵入できる可能性があるから今回の事件が起こせた、と無理やり言えば言えなくもないけれど。
かつて、バイクブーム時代に、全国各地の峠の名所が有名になり、人が集まり、ギャラリーコーナーが出来、事故が起きて、結局、通行止めになったけれど、ブームが去るまでは場所を変えてライダーは集まり、走り、事故を起こした。それだけではない。バイクブームの時代、サーキットにもたくさんのライダーがが集まり、走り、そして事故があった。地域とか地名の問題ではなかったが、空間とか場はそのような空気を生み出していた。
じゃあ啓蒙だけでこのような犯罪は減るんだろうか、というとそうは思わない。でも啓蒙は常に必要だとは思う。性善論。
それだけじゃ足りない。加害者の生い立ちはもちろんだけど、社会的なバックグラウンドをきちんと分析する必要があると思う。すでにネット上では語られているけど、自動車産業と下請け、請負派遣の構造等々、社会の中の彼の立ち位置というのは分析されるべきことだ。
大垂水を走っていたライダーたちは、当時、社会的にどのようなポジションにいたのだろう?
ナイフ規制論について
もちろん、ダガーナイフとやらが武器としての意味しかないのであれば、それは規制すればいいのだけれど。
ちょっと待てよと思ったのは、2トントラック規制とか、トラック規制、自動車規制みたいな話が出て来ないのはなんだか奇妙だなあとは思った。今回の事件は直接的な武器として自動車が使われたのに。トラック協会は業界的に圧力団体として刃物業界より政治に強いのかもしれない。
だからと言って、自動車や車両を規制すべきとはわたしは思わないけども。
普通免許で2トントラック規制はしてもいいかなとは思う。去年から普通免許で通称4トントラックは運転できなくなって、中型免許が創設されたけども、わたしはこれでも規制不足なんじゃないか?と思っている。
普通免許は教習所で運転する1500cc以下のセダンタイプのみを初心者運転免許期間で許可するとして、1年以上経ったらようやく1500cc以上可、ワンボックス可、3列シート可にすべきなんじゃないか。今回の事件とは話がまったくそれているが。
道具を規制する線引きというのはとても難しいのだけど、問題は道具を扱う人間側の問題であって、道具そのものではないとわたしは思う。
バイク危ない、だからバイク禁止とかいうのでなく。ナイフが危ないからエンピツを削らせないのではなく。
どうしたらその道具を安全に使うことができるのか、まずは議論が必要だと思う。
で、話はやや飛躍するけど、銃に関してはその議論が尽くされた結果、日本では禁止されていると思っているので、わたしは銃規制は賛成であります。
手当をした医師のことば
たまたま居合わせた医師が手当にあたり、その後、新聞やテレビの取材を受けていた。その言葉からは、2006年に目撃した事故後のわたしの感覚とまったく同じであったのでびっくりした。
「もっと助けられたのでは……」「やったことが正しかったのか、ずっと悩み続ける」
「あの場でやれる限りのことはやった。ただし100%できたかどうか……」
(毎日新聞 2008年6月11日付け記事より引用)
「果たして最善を尽くせたか、こうしていればあの人は助かったのではないか。いろんな思いが頭を巡った。死ぬまで自問自答するだろう」(徳島新聞web 2008/06/11 11:21付け記事より引用)
「もっといい処置ができなかったか、後悔もある」(読売新聞 2008年6月11日02時13分付け記事より引用)
2006年、目の前で事故の一部始終を目撃した。
わたしはカメラマンとして現場に立ち、カメラを持ってはいたが、日没近くで暗かったため、構えてはいなかった。
事故が発生し、応急救護の講習も受けていたので、とっさに助けようと思って駆け寄ろうとしたが、マーシャルに制止された。マーシャルは二次災害を防止しなければならないからだった。わたし救助に当たらない代わりに、近くにいた子供たちのケアに当たった。
自分がメディアとしてそこに立っていても、救助に当たるべきだったのか、マーシャルの言うことを聞いて動かないでいるべきだったのか。今でもわからない。マーシャルのマニュアル的には動いてはいけない状況ではあったのだけど。
誰の目にも彼が助からないのは明らかで、数分経過したのち、ドクターから状況が告げられた。
事故の発生から事故現場、そしてボディがそこに横たわっている状況をわたしは撮影することができなかった。でも、メディアの人間として撮影しなかったことが果たして正しかったのかどうか。
実際には、ボディが運ばれていったあと、警察官に頼まれて実況写真をボランティアで撮影して提出することになるのだけど、それは辛い作業であった。
過去、人の生死に関わる交通事故の現場に何度も立ち会ったことがあるのだけど──そのたびに、亡くなったことを知れば「もう少し何とかできたのではないか」と自問自答し、消息がわからないと「あの方は助かったのだろうか」という思いを捨てられないでいる。
果たしてあのときのわたしは正しかったのか? と、誰かに答えを言って欲しい。だけど、きっと「君は正しかった」と言われたとしても、一生、「わたしは正しかったのか?」という自問自答は終わることはないのだろう。
事故や事件や災害の救助にあたるとはそういうことで、じゃあ事後辛い思いを抱えられなさそうだから現場には関わらないとしても、それはそれで関わらなかったことで悩むこともあるかもしれない。
で、何が言いたいかというと、一般に、そういう辛い思いはだいたい1週間から2週間で軽減するものだけど、それが1カ月以上、長い人は半年から数年も続くことがあるので、そうならないためには、周囲の人が淡々と当事者ないし関係者の話を ただただ聞くということが有効だということを知っていて欲しい、ということを書きたかったんだ、たぶん。
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本日、帰国しました。
夜、ドゥカティのニューモンスター発表会へ。そりゃあもう華やかなこと。
で、現在午前1時半ですが、これからツインリンクもてぎに向かいます。久々にもて耐に出ることになりました。
鈴鹿のチームメンバー待ちであります。
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ダグラスの港の前は夜12時まで通行止めにしていろいろなアトラクションでツーリストを楽しませてくれます。
もう夜の12時近くですが、スタントバイクチームがバーンナウトしたりオーバーレブさせたり。
写真はバイクを寝かせてその上からバーンナウト?させているの図。
テレビカメラは「おっぱい見せろ~」タイムで多いに盛り上げたり。
デイトナほど見せる女性はいませんが。
そーいや花火も11時過ぎにならないとやらないし(そのくらい深い時間にならないと暗くならない、ということはあるけど)、音には寛容なのか?
それとも祭りの時期だけ許される?
そんな無粋なこと聞くと、so what? って言われたり。
ともかくも2008年のTTは過ぎていくのでした。
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といってもラムジースプリントというドラッグレースですが。
マシンはホンダリード100(苦笑)。
詳報はのちほど。
レース第3日目は天気予報とはうってかわって快晴です。
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マッドサンデーの今日、今年も“The Big 1”世界的に有名な(彼らの自称)、パープル・ヘルメッツの公演を見てきました。小雨模様でしたが、今年も2、3000人の観客が集まりました。
場所はダグラス近くのオンカンにあるオンカンスタジアム。普段はストックカーレースなどをやっているオーバルのサーキットです。住宅街のど真ん中にあるのがマン島らしい。
パープルヘルメッツのメンバーは普段、エンデューロやモトクロス、トライアルなどのライダーで、パープルヘルメッツになるときは、汚いコートと黒いヘルメットが定番コスチューム。グーにした手を頭にやるのが定番の挨拶の方法です。意味はよくわかりませんが。
バイクはカブをベースにミニモトクロッサーの足回りを移植したもの。
このバイクでパブの中まで入っていってバーンナウトしたりなどなど、やりたい放題、ってのがキャラになってます。
パープルヘルメッツの魅力をひとことで言えば“バイク版ドリフ”。
予定調和な馬鹿馬鹿しさが真骨頂です。
とにかく転びまくるし、裸でバイクに乗るとか、バイクどうしぶつけ合うとか、シモネタとか、そんなのばっかりです。月曜日なのでケツ出し写真は控えました。
上の写真は、パープルヘルメッツの定番出し物、フライングライダーです。バイクで走ってきて遮蔽板にぶつけて止まり、ライダーは吹っ飛ぶ。それを人力で受け止めるというまったく馬鹿馬鹿しい出し物ではありますが。
マン島の子どもたちは生まれたときからこんなもの見ていてると、「バイクは転ぶもの」「転んでもまた走れるもの」なんて思っちゃうのかもしれません。
世界的に有名なパープルヘルメッツなのでどんどんブログなどで紹介せよ、とのことなので、さっそく記事にしてみました。
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5月31日土曜日12時。
101年目のマン島TTレースが始まりました。
天気予報は前日から好天気で、イギリス国営放送(BBC)の天気予報でも「マン島は快晴、TTレース初日が晴れてよかったですね」と報道していました。
初日のレースはスーパーバイクTTとサイドカーAです。
写真はスタートシーン。昨年、130マイルを記録したジョン・マクギネスです。
ゼッケン3番はTTにおけるエースナンバーです。TTは現在10秒ごとに1台づつスタートするタイムトライアルなので、前に追うバイクがいる方が走りやすいというわけです。
昨年までとは雰囲気が代わって、スタート地点にゲートがしつらえられました。
また、カメラマンは進行方向右側にいられなくなりました。
なんだかいろいろと変更があって戸惑うことも多いTTです。
今年はトラベリング・マーシャルバイクが数十年ぶりにホンダからヤマハになったり、気のせいかもしれないけどなんだかRZをよく見かけるなあとか、ヤマハの勢力が増してきた印象ですが、レースはなんとスズキのワン・ツー・スリーでした。
RAF HAWKを見損ねました。
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