昨日のブログで時事通信の報道を紹介したが、ほかの報道も出そろったので、ここでまとめておく。以下、太字は筆者による。
まずは朝日新聞の報道から。(ウエブ魚拓のキャッシュ)
三宅島のオートバイレース、都が3億4千万円計上へ
2006年12月14日14時09分
東京都の石原慎太郎知事の提唱で、火山の噴火による災害の復興策として伊豆諸島・三宅島で公道オートバイレースを開くことが正式に決まり、都は13日、道路改修費などとして3億4000万円を投じる方針を決めた。運営する三宅村も、開催に必要な約3億円を負担する見込み。来年11月に実施される予定だが、今も火山ガスが噴出して航空路は再開しておらず、観光客誘致の起爆剤となるかどうかは未知数。
都は、専門家による検討経費などに4000万円、都道改修に3億円を07年度予算に計上。民家への衝突を防ぐガードレールを増強し、マンホールには滑り止めを施す。
05年2月に全島避難解除される直前、石原都知事が「島は起伏に富み、ライダーに魅力ある場所だ」とレースを提案。今年5月には平野祐康・三宅村長らと英領マン島を訪問。100年の歴史を持つレースを視察した。三宅村の人口は現在約2900人。
次に読売新聞の報道から。(ウエブ魚拓によるキャッシュ)
三宅島で来年に二輪レース、「復興の起爆剤」と期待
噴火災害からの復興を目指す伊豆諸島の三宅島(東京都三宅村)で来年11月、島の周回道路を利用したオートバイレースが開催されることが決まった。公道でのオートバイレースは国内初で、島民もボランティアで運営に参加。村では、英国・マン島のような「オートバイの島」と大々的にPRして、観光振興の目玉にしたいと期待している。
島内には、いまだに居住が禁止されている火山ガスの高濃度地区があるが、レース開催に問題はないという専門家の意見を得た。
コースは1周約30キロ。7月に調査走行した元プロレーサーらのアドバイスで、急カーブのガードレールに緩衝材を設けたり、集落区間の速度制限をしたりして、安全対策を徹底する。排気クラスや参加台数、レース距離は警視庁などと協議して決める。
レース開催日は練習走行なども含め週末の3日間。選手や大会関係者だけで1000人近くが島に滞在する見込みで、コース脇に有料観客席を設置することも検討している。
主催は村の商工会などでつくる実行委員会。村は継続開催していく方針で、「復興の起爆剤になる」と期待する。
(2006年12月13日23時20分 読売新聞)
まとめると、
・安全確保策の検討経費など4000万円
・都道改修に3億円
・観光客誘致の起爆剤となるかどうかは未知数(朝日)
・村は「復興の起爆剤になる」と期待(読売)
と、やや朝日と読売で論調の違いを感じる。
・民家保護のためガードレールを増強(朝日)
・ガードレールに緩衝材を設ける(読売)
現行の日本のガードレールはライダーを守ってくれるわけではないので、ガードレールを支えるポールを隠すようにガードレールを2枚使用するとともに、緩衝材(クッション)が必要となるだろう。
・速度制限のあるレースとなる(読売)
・レギュレーションやクラス分けについて警察も協議に加わる(読売)
・主催は村の実行委員会
・都は側面から支援
以下、誤報。何度も書きますが。
×英領マン島(朝日)
×英国マン島(読売)
マン島は英領でも英国でもない。クラウン・ディペンデンシーの英国連邦の独立国であります。ただし国連に承認されている国ではないので、日本国外務省では国と見なさない。
×公道でのオートバイレースは国内初
日本初、ではない。
日本で初めての公道を使ったオートバイレースは、1927年(昭和2年)の「中部巡回モーターサイクルレース」で、名古屋~伊勢~京都~敦賀~福井~金沢~富山~長野~東京を巡るレースだった。(モーターサイクリスト 1954年(昭和29年)10月号、八重洲出版)
また、1953年(昭和28年)3月21日には、通称「名古屋TTレース」、開催前の名称「全日本選抜優良軽オートバイツーリスト・トロフィー・レース」、正式名称「全日本選抜優良軽オートバイ旅行賞パレード」が開催された。事実上の公道レースだったが、当時の国警本部からレースの許可がおりず、レースの名称は使えなかった。
さらには、1953年(昭和28年)から4年間、公道を使ったオートバイレース「富士登山軽オートバイ競争大会」が、また1955年(昭和30年)には一部公道を使用した通称「浅間高原(火山)レース」、正式名称「全日本オートバイ耐久ロードレース」が開催された。
というわけで、これまで公道レースは日本で何度も行なわれている。
三宅島TT関連のコラムやブログから。
“村おこし”三宅島の公道オートバイレース(スポーツ報知、中島祥和氏のコラム)
せっかく中島氏、いい記事を書いているのに、マン島について事実と違っている箇所がいくつかあるので参考までに指摘しておく。
×「昨年は狂牛病騒ぎで中止になったが、今年は2年ぶりの開催で大賑わいだ」
レースが中止になったのは2001年であり、TTフェスティバルは行なわれた。また、狂牛病ではなく、口蹄疫の影響を受けないためのレース中止だった。マン島には口蹄疫は発生しておらず、イギリス本土・アイルランド本土からの流入を阻止するため。というわけで、2006年のTTレースは2年ぶりではない。
×「島内の交通は練習、予選、決勝などのため、2週にわたる週末に一般車は通行止めとなる」
練習と予選は兼ねて行なわれる。また、通行止めになるのは、プラクティス(予選を兼ねた練習走行)は毎日、夜または午後行なわれる。決勝レースは土・月・水・金曜日の4日間行なわれる。レースもプラクティスも法律で日曜日は原則、走れない。というわけで「週末に通行止め」は誤り。
×「島の人々は不便さに不満を言うどころか、昨年、中止になったときには、逆に開催を催促する話しが伝えられてきた」
TTレースが中止になったのは昨年、ではなく、2001年。
×「マン島の公式ホームページにも、レースが明示され、観光客誘致に一役買っていることが分かる」
インターネットで明示されている、というレベルのイベントではなく、法律により開催が決められている。観光客誘致に一役買っているのではなく、もともとTTはマン島の観光振興のために始まったイベントである。
三宅島の公道レースは、ミニバイクにしませんか(日経ビジネスオンライン、若林葉子氏のコラム)
三宅島にまつわる複雑な思い(自然山通信、ニシマキ日記)
話は散らかってきたけど、「有料観客席を設ける」というのはWRCラリージャパンの二の舞になりはしないか。ラリージャパンの場合、観客席設置による財政面の圧迫が、主催者の毎日新聞撤退につながったと聞く。マン島の場合、公式の有料観客席は恒常設置されたグランドスタンド一か所のみ。でも、前売り観戦券を発売することで、必ず観戦するという縛りを作る意味も出来る。問題は誰にそのお金が落ちるかって部分かもしれない。
それから、関係者筋によれば、
「バイクの専門家(=MFJやレーシングライダー、レースに関わるかたがた)が三宅島にできることと言えば、『安全な道路』へのアドバイスである」
とのことだった。クローズド・サーキットで培った数々のノウハウを、三宅島の公道整備に活かそう、ということなのだ。イベント運営は一過性のものになったとしても、道路そのものは後世に残せる。
バイク界が力になって三宅島に日本一、いや、世界一安全な道路を作る……なんとも夢のある話ではないか。
MFJの意向がもしその通りならば、もっと上手くそれを広報すればいいのに。
マン島ではすでに、道路改修はもちろんのこと、救急医療体制や電話やラジオなどのインフラまでもがTTレース開催で整っていった歴史がある。だからこそ、住民の理解を得ている。
ライダーの楽しみだけのためのレースではなく、世の中に役に立つレース。そういうことならば、心置きなく協力したいと思う。