G-FP2DF1P69Y 「泣いちゃダメ」なのか?~事故後のトラウマ・ケアとPTSD予防: 小林ゆきBIKE.blog

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2006.10.20

「泣いちゃダメ」なのか?~事故後のトラウマ・ケアとPTSD予防

トルコで日本人観光客を乗せたバスが横転、一人が亡くなり重軽傷者多数を出す事故となった。(グーグルのニュース検索結果) 亡くなった方のご冥福とともに、怪我をされた方々の怪我の回復をお祈りする。

さて、トルコバス横転事故のテレビ報道を見ていて、気になることがあった。怪我をされた方が病院に搬送される映像の中で、付き添いの人が、

泣いちゃダメ! 泣いちゃダメ! みんな頑張ってるんだから、泣いちゃダメ!

大声で声をかけているのを見た。おそらくその人は医療従事者でないか、医療従事者であってもメンタル・ケアの知識がない人だったのだと思う。心のケア、メンタル・ケアの面からいうと、これはまったく間違った対応と言わざるを得ない。

命に関わるような事件・事故に直面した人に、身近な人の間違った対応で急性ストレス障害が起きるばかりでなく、PTSD(心的外傷後ストレス障害、Post-Traumatic Stress Disorder)を発症させる恐れがある。

PTSDとは、「家庭の医学」によれば、

PTSDの症状は、[1]外傷的な出来事の再体験(フラッシュバックや苦痛を伴う悪夢)、[2]類似した出来事に対する強い心理的苦痛と回避行動、[3]持続的な覚醒亢進(こうしん)症状(睡眠障害、ちょっとした刺激にも反応を示す、集中困難、過度の警戒心、過剰な驚愕反応など)です。これらの症状が、心的外傷後、数週間~数カ月の間に発症し、数カ月~数年続くというものです。外傷的な出来事としては、大きな自然災害(地震、洪水、火山の噴火など)、人工災害(原発事故、航空機事故、列車事故、大きな交通事故、火災など)、犯罪(殺人事件、人質、強姦〈ごうかん〉、虐待〈ぎゃくたい〉など)があります。

とある。
PTSDについては、「Dr林のこころと脳の相談室」や、「ヤフーヘルス 家庭の医学」、また9.11テロのときに作られたサイト「メンタル・サポート・イン・クライシス」の資料室「PTSDとは何か?」に詳しい。

オートバイに乗っている皆さんにとって、交通事故はクルマのドライバー以上に、見たり、聞いたり、あるいは自分自身が、家族が、恋人や知人が直接関わる経験が多いと思う。
交通事故だけではない。モータースポーツにおいても、悲しい事故に直面することはある。しかし、日本ではモータースポーツにおけるトラウマ・ケアはまだ提唱されていないし、自助グループもない。遺族は黙って事故の風化を待つほうがいい、というような風潮さえ見受けられる。

それだけに、今回のトルコバス事故の件の報道を見て、事故後、身体的な怪我からの回復だけでなく、精神的な回復のためにも、オートバイに関わる皆さんに知って欲しいことと思い、このエントリーを書いている。


それでは、命に関わるような事件・事故に直面した人に、身近な人はどう対応すればよいのか。
先のトルコの事故の件では、「泣いちゃダメ」と付き添いの人は言っていたが、その人は辛いときに人前で泣いてはいけない、と育ってきた世代なのかもしれない。かくいうわたしも、そういう親を持つ世代だ。
しかし、事件・事故は日常ではない。異常事態なのだ。辛さや悲しみの感情は「泣く」という行為で表出させた方がいい。

当事者にしてみれば、親しかった、あるいはこの旅で親しくなった人が目の前で亡くなったのだ。もしかしたら自分も死んでいたかもしれない。怖い。悲しい。得たいの知れない不安。次に襲ってくるのが、自分を責める気持ち。旅に出なければよかった。自分があそこの席に座っていればあの人が犠牲になることはなかったのに。自分のせいじゃないのにこんな目に遭って。怒りの感情すら沸いてくる。

「みんな頑張っている」なんてどうでもいいのだ。今、自分は辛い。それを誰かにわかって欲しい。その人と一緒にいることは安全なんだと理解したい。
「泣いちゃダメ」は、自分の感情をぶつけられないジレンマ、自分の感情を共有してもらえない、その人といても安全ではない、という発想に結びつく。
事件・事故後の周囲の間違った対応は、事件・事故のトラウマを大きくし、第2の被害をもたらす。

かくして、心は休まらない。

事故の模様が繰り返し、繰り返し、フラッシュバックする。それは自分自身の精神では止めることのできない、恐ろしい体験である。努力ではなんともし難い。言葉、音、しぐさ、文字、全てのことに過敏になる。そして身体的不調が襲ってくる。やがては精神的不調に陥る……これがPTSDの発症メカニズムである。

PTSD予防のための対応については、「メンタル・サポート・イン・クライシス」の中にある大人向けの「危機状況に対する心のケアのための救急処置」も参考になるが、自我が発達していない子ども向けの「子どものPTSDに対する応急処置」が当事者、周囲の人、互いの理解を助ける。

要するに、起こった事件・事故は異常事態であること、そのことによってさまざまな身体反応・精神反応が出るのは普通のことである、を理解する、というものだ。

また、具体的にどういう対応をし、どういう言葉をかけるべきで、どういう対応をしてはいけなくて、どういう言葉をかけてはいけないのか。
PTSD.infoというサイトに書いてあるものを、ある編集者の気になるノートでまとめたものが参考になる。(以下、再構成)

【こうして欲しい】
●行動について
大きな音をたてたり、大声をあげたりしない
・救助が終わったら、できるだけ静かに歩く
・話しかけるときは、被害者と同じ視線に立ち、静かにやさしく

【言って欲しくない】
●比較系
「もっとひどい目にあっても、頑張っている人がいるんだから頑張れ
「悲劇の主人公にでもなっているつもりなのか」
「隣りの○○ちゃんはちゃんとやっているのに…」

●~しなさい系
「昔のことは忘れなさい」
「気分転換でもしてきたら」
「体を動かせば心もついてくる、行動しろ」
「何かしなさい、目標をもちなさい」
「ちゃんと寝なさい、食べなさい、生活リズムを治しなさい」
「自分のやりたいことを見つけて忘れなさい」
「来年になったら何か楽しいことをしよう」
いいかげんにしなさい

●~するな系
同じ事ばかり言うな
「(精神関連の)薬を飲むな、薬にたよるな」
「気にしすぎているんだ」

●甘えるな系
甘えている、人に頼るな
「特別扱いしてもらいたいからそういう病気になるんだ」
「心が弱いんだ」
「今生きているんだから、それに感謝しなさい」
「人間はみんなひとりで生きているんだ」
「わがままだ、自分のことしか考えていない」

●お前のせいだ系
「被害にあう人自身にも、被害を呼び寄せる要素があるんだ」
「そういう暮らしを、仕事を、生き方をしているから犯罪(事故)にあうんだ」
「昔からそういう甘いところがあるとおもってた」
「これからこんなことが起きないように気をつけなさい」

●自分が、自分も系
「君が苦しいと、僕・私も苦しい」
「君を助けるために、僕は「○○(会社を休んだとか、徹夜したとか)」これだけのことをしたんだよ。僕だって君を助けるために自分を犠牲にしているんだよ。」
「私・子供・家族のためにがんばって」
「(仕事、学校があるのだから)毎日君につきあってはいられない

●楽観系
「未来にはぜったいいいことがあるから」
「努力すればかならず良いことがあるから」
「今回のことを教訓にすればいいよ」
「人生これで終わるわけじゃないんだから」
「愛している人がいるのだから絶対に良くなるよ」


このように考えていくと、トルコのバス事故のようなとき、周囲の人はどのように対応すればいいのか。

優しく、静かに、今の痛み〈身体的な、精神的な〉、辛さを、当事者が語り出すときを待ってかたわらにつかず離れず付き添う、というのが理想だ。

ときに精神科医や心療内科医、薬,、カウンセラーの手を借りることも重要である。

世界で最も広く利用されている医学書メルクマニュアル日本版には、治療のポイントを以下のように記している。

 治療には個人療法,グループ療法,家族療法がある。重大な出来事がストレスとなるのは合理的なことなのだと,患児や親を安心させることが有用である。また,患児にその出来事やそれに伴う苦悩について語らせたり,十分に尋ねたりすることも有用である。感情を十分に発露させた後,患児に,そのバックグランドや成熟度に適した言葉で,別なやり方でその出来事に対処していたら,もっと良い結果が生まれていたかもしれないということを考えさせることによって,その出来事を締めくくらせ,未来への希望を与える。苦悩が続く場合は抗うつ薬が有用である。

 早期の集団サポートはその後のptsdを最小限に抑えられる。グループによる当該の出来事の詳細な再現,十分な感情の表出,災害への典型的な反応を認めてあげること,恐ろしい出来事の適切な事実理解の重視が含まれるべきである。救済者や治療にあたる人の苦悩が大きいことがあるが,出来事や彼らの感情的帰結が参加者によって補助的にレビューされるような,体系的な報告会によって緩和できることがある。

※参考文献『PTSD 人は傷つくとどうなるか

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コメント

PTSDに対するメンタルケアは、大切だと思います。 励ましているつもりが、本人にとって負担になることが多々ありますから。 かといって、励まさないと「私のことなんて、どーでもいいでしょ!?」となるす、非常にやっかいな病気になりえます。 発症する前に癒されてほしいものですが。。。  私も今は薬に頼って毎日を重ねていますので・・・

投稿: crow | 2006.10.20 19:43

「お心落としの無いように・・・」
通夜、葬儀で慣例句として使われる言葉ですが
遺族の琴線に触れる言葉です。

以後、慣例句は使いません。
ただ、黙って頭を下げるだけ

投稿: 正の母 | 2006.10.20 21:12

小林ゆきさんのおっしゃるとおりですね。
災害・事件・事故後の必要な体験は、「安心・絆・表現、そして希望」だと思います。自己コントロールを奪われますので、自分ができること(なく、眠る、食べる、などすべての活動)を否定されるのは(「ないちゃだめ」といった言葉かけ)、つらいし、記憶を閉じこめてしまいますよね。トラウマの記憶は、封印したい記憶なので、それに拍車をかけますよね。
ツワー会社も、今後の心のケアについて、知識があるといいのですが。

投稿: Tominaga,Y | 2006.10.22 21:55

私もツーリングで走行中に伊豆スカイラインで若者の「事故(死)」に遭遇しました。
同行の仲間に看護士が4人居て救急車が来るまで心肺蘇生措置を行っておりましたが多分助からなかったと思います。
私は何も出来ず、現場がコーナーだったので前後の交通の整理を致しました。
でも救急車の到着後口内血だらけで泣いている親友を見て全てを悟った気がします。
彼は助からなかった。バイクはやはり危ない乗り物だ。
でも今自分はオートバイに乗っている。彼の分まで乗り続けなければ。と
正直その時期オートバイを降りようと思っていた時期と重なってしまったので。
暫くは怖くて乗れなかったんですけど今はぼちぼちのんびり乗っております。
メンタルケアはとても必要な事と感じます。
毎日仕事で救急医療している友人の話を聞くと、
驚きを通り越して痛みすら感じます。
奥さんも看護士だし彼らのメンタルケアは誰がするんだといつも考え込んでしまいます。

投稿: うた | 2006.10.24 08:31

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