視覚障がい者への歩行援助
こんなことも交通問題の一つではないかと思いまして。ライダーには関係ないと言わずにお付きあい下さい。
さっき近所を歩いていると、夜道を荷物も持たず白杖(「はくじょう」と読むのだそうですね)を持った女性が歩いていました。
そこは歩道と車道の区別がありますが信号はなく、事実上、クルマ優先となっているT字路の横断歩道を渡ろうとしているとき躊躇されていたので、昔習った通り声をかけてみました。
「視覚障がい者への歩行援助」は、マニュアルによれば、
1)被援助者の左側(もしくは白杖を持っている反対側)から肩を叩きつつ声をかけます。
2)まずはあいさつ。「こんにちは」
3)次に「お手伝いしましょうか?」と問いかけ。
4)援助を求めているようなら……
私が聞いたのは、自分の右腕を被援助者の左手でつかまってもらう方法です。でも、あとで紹介するサイトによれば、被援助者がどのような援助を求めているのかうかがったほうがいいみたいです。
5)被援助者の歩行ペースに合わせて、道路状況を先取りしながら説明しつつ歩行援助を行う。
6)できれば、自己紹介などした方が被援助者が安心することができる。
で、声をかけまして、お願いしますとのことだったので、近くのお住まいまで案内しました。
彼女は視覚障がい者の中でも弱視のようで、明暗の区別は付くようでした。
住まいは新しい巨大マンション群で、近くに立派な福祉センターがあるため、センターの周りはきちんと点字ブロックが整備されていたりバリアフリー化されているのですが、ほんの100m離れるだけで、違法駐車や看板、道路に大きくせり出した雑草などが道を阻みます。
彼女とは歳が近いようで、あれこれ雑談しながら無事、送り届けました。メッチャ気分が良かったのですが、「普段はバイクに乗っているので、道路にこんなに障害物があるだなんて気付きませんでしたー」と、さりげなく自分はライダーなことをアピール。姑息な手段でライダーのイメージを上げようとしたのは言うまでもありません。。
以下に紹介するサイトでは、白杖歩行者への歩行援助の方法やポイントについて書かれています。
普段、歩行者←→クルマ・バイクは敵味方みたいになってますが、歩行者の、それも障がい者の視点から道路を見直すのも、優しい運転につながるのではないかと思いました。
そっとやさしくさりげなく
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「08.交通問題・道交法」カテゴリの記事
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コメント
自分の親や身近な方に障害がある方がいらっしゃればもっと「どう対処したらいいか?」がわかるような気が致します。
「頭ではわかっているけどどうしたらいいんだろう?何かしてあげたいけど・・・。」と、困ってらっしゃる方を目の前にして動けずにいる方も多いはずです。
僕の父はもうかれこれ21年前にバイクの事故が発端で体調を崩し、元気だった時期がほとんどなく、事故にあった後遺症で脳内出血で死の目前まで歩みました。事故もたまたま自宅前だったこともあり、その当時高校生だった僕が救急車に同乗し、救急病院まで行きました。目の前で自分の身内の人間が苦しんでいる姿を見ていて何もできないままの車内で感じたことは、
「緊急自動車の優先をあまり気にも留めずに走ってくる人たちのおかげで、救急車が通れるようになるまで進めないと言うこと」でした。
病院へ到着する時間が少しでも早ければ、目の前で苦しんでいる父を少しでも早く開放してあげられるのでは・・・。
「なんでみんなどいてくれないんだろう?なんで・・・。なんで・・・。親父ゴメン・・・。何もしてやれなくて・・・。」
ずっとそんなことを考えておりました。おかげさまで父はまだ元気に生活はしておりますが、自分自身では歩けなくなってしまったため、車椅子での生活を強いられております。しかし、公共の交通を利用する場合、自分の車椅子のために迷惑をかけてしまうと言う気持ちが強いため、どんどん外へ出なくなってしまいました。
バスで車椅子で乗ってみてください。本当に不便ですから。そして、運転手の方も良い方とそうでない方がいらっしゃいます。タクシーも電車も・・・です。健康な方で、手を貸してくださる方、声をかけてくださる方はほとんどおりません。仕事や待ち合わせに遅れるからと大声で怒鳴る方もいらっしゃいます。
ですから、僕はそんな身近な存在がいるからすぐに動くことができるようになりました。街の中をただ歩いていても目が気持ちが行くようになりました。車椅子は、少しの段差が障害になります。2センチの段差で動けなくなります。キレイ事のバリアフリー、見せ掛けだけのバリアフリーならば意味もないと思います。
意味の無いバリアフリーはしないほうがましだと今でも思っております。トイレひとつとってもとても不便です。あくまでもこれは車椅子で少し出かけたくらいの人間の意見ですから、もう本当にごくごく少数意見かもしれませんが、感じることを書かせていただきました。
僕は、バイクの事故が原因で後遺症を持ち、今は車椅子で生活をしている父を身近に持っております。そんな僕も16歳から現在の38歳までバイクに乗っております。痛さも辛さも知っているつもりです。でも、それ以上の楽しさを知っているからずっと乗っております。
ものすごい長文で本当に申し訳ございません。ゆきさんのご活躍はクラブマンから存じ上げております。そしてまっすぐな方と受け止めており、このサイトも頻繁に読ませて頂いております。楽しませて頂いている一人でございます。これからも一生懸命がんばってください。今回は、バイクが事故で怪我をしてその後遺症を今でも引きずりながら車椅子で生活を強いられている父を持つ、そんな父をずっと見てきたのにもかかわらず、バイクも父も愛しやまない男からのひとつの意見として書き込みをさせて頂いた次第でございます。ご不便がございましたら削除して頂いてもかまいませんのでよろしくお願い致します。
自分よりも弱い立場の人がいたら、まずは声をかけてあげましょう?手伝ってあげた方がいいかを聞いてあげてください。
投稿: マサミン | 2005.06.27 12:02