ヤフー読売新聞より。
こういった偏向記事にはほとほと呆れる。
以下、筆者のツッコミ入りで記事を読んでいただきたい。
「安全」か「利便性」か、首都高バイク2人乗りに両論
上記は記事のタイトル。タイトルからして偏向報道である、まったく。
「安全」と「利便性」、どちらかしか選べないような言い方で、読売新聞はまやかしの議論にしてしまっている。
首都高速を知らない地方の方に念のために申し上げると、首都高速の総延長距離は226kmにも達する。「首都高は危ない」とかいう表面的な議論の根拠は恐らく欠陥道路としての都心環状線のことを指すのだろうが、都心環状線の延長距離はわずか15km。総延長距離の5%にすぎない。
例えば、首都高神奈川県の湾岸線の端っこの「幸浦」から、埼玉県の川口線の川口に向かったとする。最短距離は横羽線~都心環状線経由の75kmだが、普通はより道が広く3車線あって走りやすい湾岸線経由で行くだろう。そうすると、距離にして82㎞。この82㎞はただの82㎞ではない。横須賀横浜道路の佐原から、東北道青森東を結ぶ約810㎞のうちの82㎞である。
もし仮にこの首都高部分の82㎞を一般道で走るとなると、恐らく3時間はかかるだろう。
さらに、幸浦から川口までの区間、曜日(金曜日や土日)や日にち(いわゆる5・10日)を避ければ、統計データを示すまでもなく、危ないどころか、かなり安全に走れる、と言い切れる。
つまり、危なそうに感じる都心環状線というわずか首都高のうち5%の道路への主観的気分が前提で、「安全か利便か」を論じるのは詭弁だろう。
今年6月の道交法改正で、高速道路での2人乗り原則解禁が決まったが、各都道府県の公安委員会の判断で、路線や区間によっては禁止にもなるからだ。首都高については「カーブが多く2人乗りは危険」と規制論も根強い。
オートバイだけに「危険」をなすり付けるのは絶対におかしい。統計のウソ、まやかしの報道。
カーブが多く危険と言うなら、後部座席シートベルトをさせないタクシーやハイヤーや運転手付き黒塗りセダンの方が走っている数からしてもっと危険だ。私は、タクシーの後部座席に乗客として乗っていて追突事故に遭い、片足切断した広告代理店の人を知っている。
カーブが多く危険と言うなら、たびたび起こるトラックの横転事故を防止するためにトラックこそ首都高通行禁止にすべきかもしれない。そういう詭弁も成り立ってしまう。
これに対し、オートバイ愛好者らは「首都高は東名や中央などの高速道をつないでいる。禁止ならわざわざ一般道に下り都内を通過しなければならない」と不便さを訴える。
訴えたいのは不便さだけではない。不便かつ一般道の方が危険が多いからだ。一般道の方が危険なことは、過去の統計データからも明らかなのに、「オートバイ愛好家」の弁として一般道の方が危険というコトバを削除して「利便」をだけを語らせているのは、「利便ばかりを訴えるオートバイ愛好家像」を捏造したいだけなのだろう。
「安全」か「利便性」か。東京都公安委員会は年内にも、首都高速の規制方針を決める。
もう一度言うが、今回の首都高二人乗りを認めるか、認めないかの議論の本質は、認める=利便性を優先、認めない=安全を優先、という議論では決してないはずだ。
認めたくない=警察・公安委員会のプライド(?)、認める=警察・公安委員会の敗北(?)、のようにすら感じる。
首都高二人乗りを認めることは、安全かつ利便性が生まれる、そういうことなのに。
首都高速や名神高速の利用が始まった1960年代前半、2人乗りオートバイの転倒事故などが多発したため、65年から高速道路での2人乗りが全面禁止となった。
事故多発は本当はオートバイだけではなかった。クルマも、トラックも、オート三輪も、軽自動車も。そして当時、ヘルメット規制が甘かったことを忘れてはならない。そもそも、「転倒事故」が多かったのかどうかも怪しい。この記事の書き方だと、単独転倒が多かったような書き方だが、真実はどうなのか。
その後、オートバイ愛好者らから「夫婦や友人同士で2人乗りでの遠出ができない」「滑りやすいマンホールなどの障害がない分、一般道より安全」などの意見が警察庁などに寄せられるようになった。さらに、大型バイクの販売促進につなげたいメーカーの要望も強く、規制緩和の流れにも乗り、今回の道交法改正となった。
意見が寄せられたり、販売促進したいメーカーの要望が強かったり、規制緩和の流れに乗ったりすると法律が改正さるんだろうか。そんなにレベルの低い話なんだろうか。科学的根拠に基づいて安全を比較検証したからではないのか。
道路交通法の総則・目的の中で、
この法律は、道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図り、及び道路の交通に起因する障害の防止に資することを目的とする。
とある。今回の道交法改正は、その目的に則った改正ではなかったのか。
(中略)しかし、警察庁は「危険性が高い道路は、2人乗り解禁後も規制する」との考えを明らかにしており、全面解禁には慎重な姿勢だ。道交法改正を審議した国会でも、「首都高速など危険が多い高速道路もあり、一律に解禁していいのか」と議論になった。
首都高速自体が欠陥道路である。オートバイが危ないのではない。道路の造りが危ないのだ。また、第一当事者は圧倒的にバイクではなく相手のクルマやトラックにある。つまり、クルマやトラックの方が危ない、という論理すら成り立つ。
というわけで、危険な首都高はクルマとトラックを通行止めにすればよい。それならオートバイは快適に走れる。そんな机上の詭弁まで言いたくなってくる。
首都高速は、傾斜やカーブが多いうえ、ほとんどの路線で路肩がなく、事故に巻き込まれた時などに“逃げ場”がない。慢性的な渋滞により、進んだり止まったりの繰り返しが多く、オートバイはバランスを崩しやすいともいわれる。
事故に巻き込まれたら“逃げ場”なんか意味がない。巻き込まれた時点でオシマイだ。
ちなみに一般道では、事故に巻き込まれてすっ飛んでった先にガードレールの柱があって、そこで首を折って死亡、という事故があとを絶たない。ガードレールはライダーを守らない。
高速道路で起きるオートバイ事故を、道路の距離1キロ当たりで計算すると、首都高速では過去5年間に0・5件の発生で、全国の高速道路の平均の5倍にもなる。オートバイが事故を起こした場合の死亡率は22・4%で、ほかの高速道路の平均6・6%の3倍以上だ。
ここまで来ると、読売新聞の記者はいったいどこの大学で何学部を出たのかと問いたくなる。オートバイ事故の統計を高速道路と首都高だけで比べることはまったく無意味だ。統計のマジックだ。この場合、比較対象としてクルマとオートバイの場合、一般道と首都高の場合などなど、さまざまな統計をクロスして比較しなければデータとして意味がない。
これに対し、全国のオートバイ販売店で作る「全国オートバイ協同組合連合会」(約1070店加盟)の福井二朗専務理事は「法改正で全面解禁と勘違いしているライダーも多い。高速道路で遠方から走ってきたライダーが土地カンのない都内で突然、一般道に下りると、かえって危険」と指摘。また、自動車メーカーの業界団体「日本自動車工業会」の大越茂交通統括部長も「首都高速は、東名、中央、関越などの高速道路をつないでおり、首都高で全面的に2人乗りが規制されれば、道路が分断されてしまう」と懸念する。
勘違いではない。法改正で全面解禁である。福井さん、あんたが勘違いだ。そうでなければ、読売の記者がわざと勘違いって書いたのか?
例外を作ろうとしているのはこれからだ。
しかし、福井さんはもう一つ勘違いを起こしていた。実際には、土地カンのない都内で突然、首都高都心環状線に入り込むとかえって危険なのだ。それくらい、首都高都心環状線は覚えるのが難しい。
しかし、さらに危険なのは、土地カンのない都内で突然、首都高環状線に入り込んでウロウロと迷う地方ナンバーの四輪ドライバーだ。何度も何度も事故に遭いそうになったことがある。一日の走行台数あたりの割合でいけば、二輪車は四輪車の0.03%ほどなのだから、「土地カンのない都内に行こうとしている遠方・地方のクルマは首都高進入禁止」にすべきなのである。
首都高速は、環状線、湾岸線などの路線ごとに道路特性や事故の発生件数なども異なる。都公安委の決定に先立ち、事実上、規制方針を決める警視庁交通部は、「利便性に配慮しつつ、総合的な対策を検討中」としており、2人乗りを解禁する路線と禁止する路線を色分けするなどで、「安全」と「利便性」を両立させたい考えのようだ。
利便性はもちろんだが、安全性に配慮して欲しい。安全性に配慮したら、二輪二人乗りは首都高を走ったほうがいい、という結論に本来ならなるはずだ。さまざまな統計データを悪用し、読売新聞に偏向した記事を載せてもらうことで、どうにか世論を「二輪二人乗り=危険=首都高は禁止」という方向に持っていきたいのが見え見え。
オートバイ愛好家は利便性を追及したいのではない。安全に走りたい、その一心のはずだ。
路線を色分け? はぁ? 道路に色を塗るんだろうか? 地図に色を塗るんだろうか? 看板に色を塗るんだろうか?
そんなインフラは整備しなくていいから、公共の福祉たる道路を享受する国民の一人として、公平に道路を使用したいなのだ。二輪高速二人乗り問題とはそういうことのはずだ。