2008年12月14日 (日)

フレームワークとは

フレームワークとは……

自分で設定する研究対象と範囲。

例)

自分で描きたい大きさのキャンバスに好きなように絵を描くがよい。

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2007年10月 5日 (金)

社会科学と社会学

夕べの豪華一対一ゼミ。何を議論するでもなくブレーンストーミングを2時間たっぷりと。

そんな中、教授の気になるひと言が。

お世話になった××先生に聞いたことばなんだけど──

社会科学と社会学の決定的違いは、

社会科学は実験できること。

社会学は実験できないこと。

た、確かに。社会心理学は若干実験的な再現が可能ですけど、社会学に実験は難しい。文化人類学はもっと難しい。
ならばどうするか。
できるだけたくさんの事例を集めて類型化することと、そこから推測できるであろう一般化ができるかどうかの判断。
それが社会学っていうこと??

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2007年2月 2日 (金)

「産む機械」というメタファーの何が問題なのか解らない

柳澤厚生労働省大臣の発言が問題になっている。

発言の主旨は読売新聞によると以下の通り。

関係者によると、柳沢厚労相は27日に松江市で開かれた島根県議の会合で講演し、「(女性という)産む機械、装置の数は決まっている。あとは1人頭で(多くの子供を産むように)がんばってもらうしかない」と発言した。厚労相はその場で「機械と言ってごめんなさい」と謝罪し、「産む役目の人」と訂正した。

問題にしている人たちは、「女は産む機械」=「女は子どもを生まなきゃいけない機械程度ということなのかっプンプン」という論調なんだけど、
社会学者はこれを聞いて、何が問題なのかよく解らず、ププっと笑った人が多いんじゃないでしょうか。

つか、前後の文脈を解してみると、べつに「女は産む機械」と断定して言ってない。
べつに、不妊の人を卑下なんかしてないじゃん。
産める人に対しての合計特殊出生率をどうにかして上げるには、っつーことじゃん。

単なる比喩。
単なるメタファー。

社会学では、「○○は○○を生み出す“装置”となっているのである」なんてメタファーはよく使う手で、というか、使わないと社会学じゃない、くらいな勢いなんで。

かくいう私も、修論では「装置メタファー」は使わせてもらいました。

民主党のTVCMは「トヨタメソッド」で敷居を下げてますから、
(トヨタメソッド=ちょっとアホっぽいくらいが大多数の国民にはちょうどいいという作り方のCM)
民主党は「ハイ、失言一丁釣った!」ってな具合に判っててわざと騒いでるかもしれないけど、
民主党以下の野党さんたちが、柳澤発言を「女は機械」と言っているんだと素で言っているとしたら、そっちの方が恐ろしい。

リテラシーですよ、リテラシー。
あと、日本語読解力。
部分を切り取ってミスリード、なマスコミもどうかと思うが。

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2007年1月25日 (木)

まなざし、そして定義とは?

2007年1月11日、朝日新聞夕刊の文化欄に、修士時代にしごかれたN教授のコラムが。

N先生はかねてから「ホームレス」ではなく「野宿者」と呼ぶことにこだわっている。

先日のOゼミでも議論になった。
視点=まなざしによってことばは変格するのだと。

子育て→子育ち

教育→学び

関係ない気もするけど

不妊症→妊娠障害→チャイルドフリー


+++++閑話休題。

N教授のコラムの下に、音楽学者の谷口文和氏の談話が。

特に理系の学生は、はっきりとした定義をきくことが教わることという発想に固まっている。議論の出発点は頭を柔らかくすることです

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2007年1月 7日 (日)

バイクゼミナールMixi版

Mixiにて「バイクゼミナールMixi版」を主宰しております。

趣旨としまして、

『バイクゼミナール』は、バイクにまつわるさまざまなトピックスを、

・一人につきA41枚以上のレジュメを用意していただく
・それを元に一人15分程度の発表と5分程度の質疑応答を行なう

いわゆる大学の“ゼミ”のような形式で語り合う勉強会として立ち上げたいと考え、まずはミクシでコミュニティを作りました。

工学から物理学、アート、デザイン、文化、心理学、社会学、安全学、経営学、関係団体の動向、法学、などなど学問に限らず、マーケティングの手法、新しい商品開発についてのアイディア、読書会、映画鑑賞会などなど、ありとあらゆるバイクに関わる分野を異分野からお互い刺激を受け合う会にしていきたいと考えています。

日本のバイクの世界では、こうした横断的なつながりが薄いと感じており、このような企画を温めていました。

バイクに関わる日本での最先端の研究や、開発や営業さんの日ごろの努力のたまもの、あるいは研究途中のこと、一般のライダーさんの疑問をすり合わせるような場所を作ることはできないか、というのがこの試みです。

いろいろな情報や研究のインプットだけでなく、アウトプットを広く一般の方、いろいろな学問や業種の方に文字データとして送り届けるためにも、単なるオフ会ではない「バイクゼミナール」を、メンバーや場所など賛同者が集まれば随時企画していきたいと思います。そして、息の長い勉強会に育てたいと考えています。

参加者の資格は問いません。バイク屋さんでも、一般ライダーでも、学生さんでも、研究者や学者さん、メーカーさんでも(匿名・匿テーマ、秘密は厳守します)、商社さん、関連団体さん、レース関係者さんなどなど、日ごろ誰かに発表したいことがあれば異業種異分野でお互いの刺激を受け合う場にしていきましょう。

……ってなことにしております。

現在参加されている方々は、社会学・社会心理学・エンジニア・コンサルタントの方々などなど多彩です。

現在、設けている掲示板のトピックとしては、

・参考文献、サイト、リファレンス
・騒音規制って、どうなの?
・バイクの魅力、とは
・広州市のバイク乗り入れ禁止を考察する
・雑談板
・バイク文化、とは
・自己紹介
・発表テーマ
・お知らせ用トピック

などがあります。

とくに、「バイクの魅力、とは」「バイク文化、とは」のあたりで活発な議論が交わされており、分析的に言語化しつつバイクの魅力や文化を解き明かしていこう、という試みをすすめています。

これだけで共著本ができてしまいそうな勢いでして。

引き続き、みなさまのご参加、お待ちしております。

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2007年1月 5日 (金)

箱根駅伝に見る“擬機械化”の言説

「公道スポーツは道が祝祭の舞台になる」と仮説を立ててマン島TTレースを研究している私だが、比較事例として日本では「箱根駅伝」を挙げると、わりと理解がたやすいかも。

箱根駅伝は東京大手町~箱根間を往復する駅伝方式のマラソンだが、単純な一本道と考えるのではなく、A地点からB地点を通ってA地点へ帰る、という「サーキット」(=周回路)と見なすことができ、マン島TTレースのマウンテンコース(一周60㎞の周回路)と比較してもいいんじゃないかと。

あと、箱根駅伝は大手町を一斉スタートするので、着順で争うマラソンと同じ競技のように思われがちだが、実は10分または20分のタイムアップルールで繰り上げスタートになるため、チームが総合タイムに向かって挑む「タイムレース」となっている。
繰り上げスタートの心配がないトップグループは競り合いによる着順や記録への影響があるが、後半のチームは“己との闘い”となるため、これもまたタイムレースであるマン島TTレースとの比較事例として検討してもよさそうな。

しかし、なんでまた国道一号線が祝祭空間に生まれ変わるのだろう? という目でこの3年間箱根駅伝を見てきた。
一つ重要な要素として、走っているランナーは大学の、それも予選を突破したりシードを守った大学の陸上部に所属するある一定の年齢層の大学生しか走れないわけで。それは、祭りにおける神輿であり山車であり、それらの担ぎ手であり引手である、ということだ。担ぎ手や引手は選ばれた人しかなることができない。
しかも、一定の時間、そこは祭りたる駅伝の空間として管理される。それを見に行く観衆とのコントラスト。

……この話は今日はここまで。

ところで、箱根駅伝を見ていて、というか最近マラソン報道などで擬人化ならぬ“擬機械化”の言説が気になった。

「昨年は8区でブレーキを起こして」(日刊スポーツ20006年1月4日付)

「ギアチェンジ」(TVのアナウンス)

ギアチェンジというのは、高橋Qちゃん尚子選手がオリンピックでサングラスを投げ捨てスパートをかけたときから広まった表現ではないかと思うが、出典は定かでない。

逆に、オートバイの世界ではけっこう擬人化した表現が用いられる。中には名前を付ける人さえ。

モータリゼーション100年の間に、人間も機械化され表現されるという現象はなんかおもしろい。

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2006年11月12日 (日)

南方熊楠展

南方熊楠展に行ってきた。
(11月26日(日)まで、上野公園にある国立科学博物館にて)

私と南方熊楠との出会いは、1989年にバイクで日本一周したときのことである。
和歌山県田辺市のユースホステルのペアレントさんのおばちゃん(おばあちゃん?)が、夜中に消灯時間を自ら破って占いをしてくれて、それはともかく、翌朝、本来そこのユースでは朝食が出ないのだが、近所の喫茶店にペアレントさんが朝食を誘ってくれて、1時間、いや2時間近く話をした中で

「南方熊楠知っとるやろ? 知らん? 白浜に博物館があるから行ったらええ。人生観が変わるろ」

と進言してくださったのだ。
そのとき私は先を急いでいたこともあり、結局、白浜には戻らなかったのだが、1994年ごろ、仕事にかこつけて白浜の南方熊楠記念館を訪れることができた。

さほど広いとは言えない記念館だが、熊楠の仕事っぷりは細かく丹念で、全部見終わるのにたっぷり2時間はかかっただろうか。
熊楠の何がわかったわけでもなかったが、若い頃の端整で男っぽい顔だちの写真が自分好みで、引き続き興味をひいているというわけである。

さて、今回の展示は熊楠のダイジェストとも言えるものだったが、それでも500円払って見るのに惜しいことはない。

特に印象に残った部分--。

●(外国の)アマチュア研究家が6000点の標本を学者に送ったと知った熊楠は、それ以上を収集してやろうと決意した。
→研究者としての原点が、他を越えてやる!という気概からだったとは。

●民俗学者、柳田国男が熊楠を評して「南方熊楠という現象であり、南方熊楠という事件である」というようなことを言っていた。

●熊楠はとっくにKJ法を行なっていた。それどころか、三次元のマインドマップを考えていたようで、これが南方熊楠曼陀羅であると言っていいと思う。

もう一度、白浜に行ってみたいと強く思った。
研究とは何か、方法論や気迫のようなものから受ける刺激は絶大である。

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2006年10月27日 (金)

奨学金のための研究計画

大学院生にはたくさんの奨学金制度があります。
我が大学には、大学によるもの、校友会(OB会)によるもの、そして妖怪研究で有名な学祖、井上円了賞があります。(いずれも、返還不要)
額も規模も、かなり手厚いといってよいのではないでしょうか。

んで、今、申請書やら研究計画書やらを書いているところなのですが。
改めて、日々、自分の研究の方向性が右往左往していることに焦る焦る。

こんな風にちゃんと文章に書いていくと、自分の研究は祝祭研究からイベント研究に移行している? と自分を振り返りつつ。

通るか通らないかは別として、冷静に研究や自分の状況を振り返る、という点において、奨学金申請はたいへん意味のあるものなのではないか、と。

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2006年5月16日 (火)

公共交通と個人交通の狭間~デマンドという概念

「教習所送迎バスを高齢者の足に提供へ/横浜」(カナコロ)

近所である。しかも、“教習所”の送迎バスをバス・タクシーの代替交通に、というニュース。
ポイントは以下の通り。

・路線バスと競合しない
・利用は65歳以上
・利用の申請は区へ
・乗車時の保険は区がかける
・既存の公共交通と福祉関係や自家用車とのすきまを埋める
・教習所側の期待→「地域の高齢者と若い教習生との交流の場になれば」(ソース:朝日新聞第2神奈川版)
→「教習所の送迎バス運行は宣伝の意味合いもあり「十五人乗りだが、がら空きのことも多かった」(ソース:カナコロ)
・市側の認識は「交通アクセス改善事業」である(ソース:横浜市民情報センター第46回横浜市個人情報保護審議会)

【疑問点】
・営業車じゃないのに営業。自賠責保険はどうなる?
・乗る場所は決まっていて、下りる場所は自由。路線バスとの競合は配慮しているのに、なぜタクシーとの競合は配慮しないのか?
・「交通アクセス改善事業」というなら、なぜ高齢者しか乗せないのか?
・宣伝の意味あいがあるのなら、誰でもいつでも乗れる方がいいのでは?
・許認可は誰がする?
・補助は国? 地方自治体?

しかし、ここにも「ひらがな化で馬鹿っぽくする」法則が成り立っているのだなあ。

【参考:デマンドという概念】

デマンド【demand】 需要。要求。請求。

デマンド‐バス【demand bus】 無線通信による利用者の呼び出しに応じて、一定地域内を不定期に運行する小型バス。[大辞泉]

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移動には何らかの目的・意味がある?

社会学O教授

「交通の本来の意味からすると移動そのものには意味はない。ただし必ず目的は伴う」

と言っていたような気がする。

人類学U教授

「祭りなんかは移動そのものに何らかの意味があるわよね、きっと」

と言っていたような気がする。

日常と非日常の差がそこに?

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