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2006年5月 6日 (土)

交通社会は社会と言えるか?

「交通社会」は「社会」とはたして言えるのか? 富永(1995)の社会の概念に当てはめて考えてみることにする。

(a)成員相互のあいだに相互行為ないしコミュニケーション行為による意志疏通が行なわれていること。

(b)それらの相互行為ないしコミュニケーション行為が持続的に行なわれることによって社会関係が形成されていること。

(c)それらの人びとがなんらかの度合いにおいてオーガナイズされていること。

(d)成員と非成員とを区別する境界が確定していること。

(富永健一, 『社会学講義 人と社会の学』中央公論新社,1995.pp14-15.)

(a)意思疎通については、手信号・方向指示器などによる合図で行なわれている。群衆や観衆よりは相互理解は深いと言えるのではないか。
(b)相互行為が持続的に行なわれているかについては、道交法などによるルールと、慣習的マナーが持続されている。しかしながら、ドライバー同士、歩行者同士など、それぞれの成員が社会関係を築いているとはいいがたい。
(c)オーガナイズは法による。法による役割付けはされているものの、それが組織を表すものではないので、交通社会は「準社会」の範疇でしかないかも。
(d)境界は、道路と建物。

富永によれば、「街頭の群衆や、劇場の観衆や、たまたま乗り合わせた電車の乗客などは、複数の人びとの集まりではあるが、いまだ完全な意味で社会とはいいがたい」としている。
これについては、p18~に出てくる「マクロ社会」「マクロ準社会」「ミクロ社会」の概念へとつながっている。

まだまだ検討の余地あり。

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