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2012.01.04

松下ヨシナリ・ロングインタビュー~その1

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昨年、2度目のマン島TTレース参戦を果たした“走って喋れるモトジャーナリスト”松下ヨシナリさん。

海外の雑誌(TTSCマガジン)に頼まれてインタビュー記事を書くことになったので、2011年11月2日に茨城のオートボーイJ'sさんに場所をお借りしましてインタビューを敢行してまいりました。Dsc_0070s

ほんとうは、マン島TTレース参戦のことだけ小一時間話を聞く予定だったのですが、思いがけず、松下ヨシナリ氏の人と成りを含む3時間に亘るロングインタビューとなり、これをテキストに起してみたところ、これは面白い! と思いまして、ダイジェストになってしまう英語記事になる前に、弊ブログにて、全インタビューのほとんど全文を、新春特別企画として連載してまいりたいと思います。

* * * * * * * * *

甲子園出場の強豪校でピッチャーとなるも、怪我に泣き、打ちのめさせられた高校時代

──さまざまなお仕事に携わっていらっしゃいますが、まずは「いったい、あなたはナニモノなんですか?」と質問させてください。

「僕はグラフィック・デザイナーです。あとは、ライターでジャーナリストです。
自分が実力あるとは思ってないですけど、レーシングライダーと言っていいキャリアにはここ何年かでなってるのかな、と思います。
あと、“おしゃべり”します」

──バイクに興味を持つようになったきっかけは?

「中学生くらいのときにバイクの雑誌を立ち読みしたんです。レースの写真がいっぱいあって、カッコイイなぁって。
多分、レース系の本でした。『サイクルワールド』だったか『レーシングヒーロー』だったか」

──実際にバイクに乗ろうとしたときのきっかけは?

「中学出て、高校に上がるときに、ヨシ、免許取れるな、と。で、結局取らないんですけど(笑)。
部活やってて野球少年だったんです。小学校からやってて。
思い込みが激しいヤツでね、『みゆき』とか『タッチ』とか読んで、オレはいけるぞ、と。甲子園とか出ちゃったらプロ野球選手になれるのかなあ、という思いが漠然とあって。
小学校、中学校でそこそこ地域で有名な選手だったんですよ。いま思うと、身体が大きかっただけだと思うんですけど。あの年頃って体格の差って大きいんですよね。

高校は中学から高校に上がるとき、僕に人生の選択肢が二つあって、ひとつはぬるい高校に行って、チャラチャラやりながらオートバイの免許を取って野球もやる。ナナハンライダーの光くんみたいに。
もう一つはガチガチの野球。目指せ甲子園ですよ!

ちょうどそのころ両親が離婚しまして、かなり貧しかったんです。僕は母親に付いて行って、母ちゃんを楽にしなきゃと思って、ガチガチの野球部に特待生で入って、学費も全部タダだよって。それが大きな間違いでした(笑)。
その学校は全国からいい選手を集める学校で。強かったんですよ。で、僕が2年のとき、甲子園に出るんです。(在学中に)2回、甲子園出ているんです。でも、僕の出場機会はゼロだったんです」

──ベンチをあたためた?

「ベンチにも入れなかったです。当時、160人くらいいましたからね。一番(選手を学校が)集めてた時代です。160人の中で、ピッチャーが25人くらいいて。プロみたいなメニューで練習させられるんですよ。1軍から4軍まであって、1軍と2軍は同じメニューで練習をやって、3軍と4軍はまったく別メニューでやるんです。ピッチャーも別メニューで。ピッチャーの中で当時、3番手、4番手くらいだったですかねー。球ばっかり速くて、ぜんぜんコントロールできないんです。ノーコンピッチャー(笑)
かなり打ちのめさせられる経験しましたよ。いっつも居残り練習してました。自発的にね。もう完全にスポコンですよ。

2年で先輩が甲子園出て、うちら先輩後輩ない部活だったんで、2年のとき甲子園出たとき、オレも来年……って思って練習しすぎちゃって、肩のじん帯、バチーンって切れちゃって。手術するほどの太いじん帯じゃなかったみたいですけど。ボールはもう投げられなくなっちゃった。

よしこれはラッキー、と思ってやめようと思ったんです。バイク乗れるじゃないですか。それが引退できなかったんです。顧問の先生に「部活やめるのだけはよしとけ」って。「これまでタダになった分、請求くるぞ。入学金とか」。
いま思えば脅しですよね(苦笑)。でも、親に迷惑かけられないなと思って、籍だけでも在籍しておこうと思って。でもまあ部活に行ってましたね。
で、3年のとき甲子園に行って、でも悔しいだけの甲子園でしたね。今思えば、あのころから怪我ばっか(笑)」


「職業ライダーになりたかった」プロスポーツ選手に憧れて始めたバイクレース、しかし怪我続きでうちひしがれる

──結局、実際にバイクに乗るようになったのは?

「18歳のときっすね。高校卒業してからです。卒業前に捕まってるヤツとかけっこういて。捕まって停学とかなって部活に迷惑かけちゃいけないと思って。でも当時は同級生でミニバイクレースとかスクーターレースとかやってるヤツはいましたよね。秋が瀬(サーキット秋が瀬)とか、教習所レースが盛んだった頃。

それから免許取るんですけど。中免取るんです。で、(スズキ)Vガンマの88(ハチハチ=1988年式)を買うんです。いきなり月賦で。で、すぐ事故して、だいぶひどく骨をあちこち折り、入院したりして」

──レース参戦へのきっかけは?

「選手権に参戦し始めたのは92年だから、もっとだいぶ後なんですけど。選手権シリーズを追いかけて出てたわけじゃなくて。ぜんぜん通用もしてなかったし。予選10番手くらいのタイムが出たらレース出ようと思って。結局でなかったんじゃなかったかな。

怪我して、治って、ミニバイクレースをするようになりました。ニーゴー(250ccクラス)とかでいきなりレースやると、(参戦費用が)高いし、危ないし。
その当時、「ミニバイクレース」って言葉が出てきて、仲間と一緒に(ホンダ)NS50を買って。で、当時、大ちゃん(加藤大治郎)とか雄一(武田雄一)とか長純(亀谷長純)とかみんないて。ぜんぜん子どもですよ、ガキですよ。でも雄一とか速かったなぁ。もうとんでもなく速かった。ノリック(阿部典史)はちょっとしか絡んでないんだよなぁ」

──ここ10年くらいはホビーレースに出てましたよね? それ以前のレース活動はどのようなものだったんですか?

「不思議なんですけど、ミニバイクレースを始めたときは「職業ライダー」になりたくて始めたんですよ。プロスポーツ選手っていうのを生業にしたかったんです。スポーツでご飯食べられたらいいなって。で、団体競技はもういいな、バイクでご飯食べられたらいいなって。当時、流行ってたし、華やかだったし。ミニからステップアップしようと思って。

環境が良かったこともあって、大ちゃんとか雄一とかいたのもあって、速い子がいっぱいいて、すぐにそれなりに通用するようになって、当時、コースレコード(非公式)が出たりして。そこでまたオレ勘違いして、オレ行けるんじゃないかって。
91年から92年になるときに(ホンダ)RS125を買うんです。月賦で。高かったですよ。車体が120万で、いまでも覚えてるけど、キットパーツとかで100万近くかかって。そのとき、チャウチャウ(レーシングチーム)さんにお世話になって。当時、渡辺学さんとかいて。

で、また怪我しちゃうんです。筑波の最終コーナーで握りゴケして、手首を粉砕骨折してしまうんです。坂田和人さん来てて、アプリリアで世界(グランプリ選手権)帰りで。世界チャンピオンのカズートと同じ場所でブレーキングポイントでブレーキしても曲がれると思ったんですねー。タイムが上がるんじゃないかと。かけた瞬間、フロントがいなくなっていて。基本、バカなんですよねー。

で、怪我して、同じタイミングで彼女に振られたりしたりとかして、うちひしがれたりして、これはもう一回、ミニバイクをやろうって。坂田和人にもなれなかったし(笑)。当時、ノリックとか帰って来てOX(レーシング)乗ったりとかして、大ちゃんもコウタケ(Team髙武)とか行っちゃってたし、みんなすげーなーとか思って。当時、大人、僕ら二十歳過ぎ連中は、雄一のこと“雄一様”って呼んでたくらいですから」

──その頃の生業は?

「アルバイトです。僕、高校出るとき、進路指導の先生とケンカして。大学とか高専に行く道があったんですよ。でも、なんとなく先生とソリが合わなくて。何しても稼げるって頭はあったんですよ。別にアルバイトで時給これくらいで、これくらいだから……別に平気じゃんって。

で、高校出て何もせずバイク買って。実は2年くらいバイク乗れなかったんです。18歳でバイク乗り始めてすぐ怪我しちゃったんで。21歳で実質レース始めたんです。

それまでの間、2年くらい浮世絵の専門店、ギャラリーに勤めてたんですよ。その当時、バブルも下降線だったけど景気はよかったんです。古物商みたいなところ。これがけっこう面白くて。社員経験はほんのちょっとしかないです。

それからミニバイク戻ってだらだらやるんですけど、そのときは普通の人で。何の知識も特技もなくて、牛丼の吉野屋から始まって、タイル職人、クリーニング屋さん、配送業、運送業、警備員。けっこうなんでもかんでもやってて、時給の高いバイトを転々としていて。でも時給1000円近く稼いでいたかな。月にだいぶ稼いでましたよ。

26歳くらいのときに、最後にやってたバイトが警備員。“ニンジン振り”みたいな。それが一番長かったかな。けっこう面白くて。いい仲間もいたし。でも、だらだら惰性でやってた感じですよね。

その間、パーツのテストとかチャンバーとかタイヤのテストとか、アルバイトの合間に話が舞い込むようになってきて。だからそのとき、なんか分析してものを言うってのはそのころ勉強したかな。

たぶん、すごく、TTレーサーの中では、ものすごくフツーの人だと思う。彼等の中に入ったら、究極の普通の人だと思う。でもね、継続はチカラなんですよね。俺がそうだもん(笑)」

(その2へ続く)

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